<校長室の窓> アサガオ
- 公開日
- 2019/06/19
- 更新日
- 2019/06/19
校長室の窓(〜2020年度)
南中生の皆さんへ
今朝、正門に立っていたら、小学生が、
「先生、アサガオの花が咲いているよ!きれいだよ!」
と教えてくれました。
見ると、クラブハウスの裏側に「アサガオ(朝顔)」が咲いていました。
「自生」のアサガオは、とても色濃く美しく、
その花も葉も、「凛(りん)」としていました。
毎日歩くところなのに、
私の目には、アサガオが全く映らず、
小学生には、しっかりと見えるのです。
「感受性の違いだ!」と思いました。
また、いつも時間に追われ、
美しいものに気づく「心のゆとり」がない我が身を恥じました。
いつのまにか、
美しいものを美しいと思える「感性」が鈍ってきていたのです。
小学生が、58歳の人間に、大切なことを教えてくれたのです。
ふと、また、尊敬する東井義雄先生の言葉を思い出しました。
意味というのは こちらが読み取るものだ
ねうちというのは こちらが発見するものだ
すばらしいものの中にいても
意味が読みとれず ねうちが発見できないなら
瓦礫(がれき)の中にいるようなものだ。
また、少し、ニュアンスは異なりますが、
京都の禅寺のご住職様から教えていただいた言葉も思い出しました。
見る気がなければ 何も見えない
聞く気がなければ 何も聞こえない
心耳(しんじ)を澄まさなければ、
聞こえてこない世界がある。
見えてこない世界がある。
坐(すわ)っていても
世界が見える人がいる
世界中飛びまわっていても
自分さえ見えない人がいる
あの小学生は、「澄んだ目」で、
明日もまた、色々なものを発見することでしょう!