ホトトギス
- 公開日
- 2007/02/22
- 更新日
- 2007/02/22
校長メッセージ
以前、私がある本を読んで、深く感銘を受けた話を紹介させていただきます。
社会科の歴史分野で学習した、戦国武将の信長・秀吉・家康の3人を覚えていますか。その天下統一に挑んだ3人の性格を表現した「ホトトギス」を季語にした有名な句があります。
『鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス』 (織田信長)
『鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス』 (豊臣秀吉)
『鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス』 (徳川家康)
それぞれの性格をよく表現していますが、ホトトギスのところをわが子に置き換えてみてください。自分の親子関係は3人の句のうちどの内容に最も近いと思いますか。
信長の句はまさに児童虐待ですから論外だとしても、秀吉タイプは結構多いのではないでしょうか。また、子育てにおいて正解に近いと思われる家康タイプの方も多いと思います。しかし、これらの句は、親子関係の真髄を表してはいないように思えます。なぜならば、実は3人とも最初から「ホトトギスは鳴くもの」と決めつけているからです。確かに鳥は美しい声で鳴くことを求められています。しかし、鳴かない鳥はその存在価値を認められないのでしょうか。
松下電器の創始者で、昭和の実業家・経営の神様といわれた松下幸之助さんは、この句を真似て、自分なりのホトトギスの句を詠んでいます。
『鳴かぬなら それもまたよし ホトトギス』
その意図するところは、鳴かなくても、それ自体、よいものだ。鳴けないのならそれでもいい、そこにいてくれるだけでもいいのだ、というメッセージではないでしょうか。難しいかもしれませんが、再度ホトトギスをわが子に置き換えて考えてみると、どうでしょう。
いつも松下さんの句のような気持ちでいることは難しいと思いますが、根底にはこういう気持ちをもっていたいと思います。よい子であるわが子をではなく、よい子でもそうでなくても、あるがままのわが子自身を受け入れるという姿勢を・・・。