9月26日 朝会から 伊勢湾台風から50年
- 公開日
- 2009/09/26
- 更新日
- 2009/09/26
校長メッセージ
運動会予備日のため、本日26日(土)は授業を行いました。市内の中学校では、インフルエンザが流行を始めたようです。本校では、まだまだですが、十分ご注意下さい。なお、休み中に感染が確認された場合は、19日に配付したプリントにある学校携帯までご連絡下さい。よろしくお願いします。
さて、ちょうど今日は、伊勢湾台風から50年。朝会では次のような話をしました。
『おはようございます。運動会からもう1週間がすぎました。昨日、校長室前に写真をはりました。見てくださいね。
さて、今日は「いのち」のお話です。ちょうど50年間の今日9月26日。50年前も土曜日だったそうです。何があったか知っていますか?
50年間の9月26日夜に、この地方をたいへん大きな台風がおそいました。「伊勢湾台風」という台風です。この台風の名前を知っていた人は?この台風は、こんなコースで、私たちの西側を通っていきました。そして、たいへん強い風と波と雨で、ものすごい被害になりました。海に近いところは、水につかり、屋根の上ににげて助かった方もたくさんいました。この伊勢湾台風で、壊れた家は、15万以上、けが人は、4万人以上、また、5000人もの方が、亡くなりました。
港の近くに外国から持ってきた大きな木がたくさんありました。この大木が、台風によって高くなった海の水(これを高潮といいます)にのって、堤防をこえて町の中に流れ込み、家を壊して、被害を大きくしました。
名古屋の南区にある白水小学校では、100人以上の子どもたちがなくなりました。一番被害が多かった小学校だそうです。その学校のホームページに,当時の4年生の児童の作文が載っていましたので、紹介します。
「ちょろちょろ水がはいってきたとたん,たたみがふわっとうきだしてきました。お父さんが,みんなをかかえて台所へ行きました。妹が『お父ちゃん,こわい。』と,さけびました。台所へ行くと,おさらやお茶わんが,ガシャガシャとわれた音がしました。家は,ミシッミシッと大きな音をたてて,生きたここちがしませんでした。表口から出るとすぐ,足がつかなくなりました。ものすごい雨と風で息をするのがやっとでした。お父さんは,わたちたちをだきかかえて,何もつかまらずに流れていきました。ふと気がつくと,お母さんがいません。わたしは,『お父ちゃん,お母ちゃんがいない。材木の下になった。』とさけびましたが,どうしようもありません。わたしは2度しずみました。2度目にしずんだときに,思わず妹につかまっていた手をはなしてしまいました。『お父ちゃん,お母ちゃん。』と父や母の名をよびましたが,何も返事がありません。」
春日井市内の学校は、強い風で屋根が飛んだりして大きな被害が出ました。一度、おじいさんやおばあさんに聞いてみてください。
今では、気象衛星ひまわりからの写真もあります。いろいろなところで調べたデータをスーパーコンピュータで計算して、予想します。しかし、自然には勝てません。毎年、どこかで大きな被害がでています。溝のようなたいへん小さな川でも、大雨の時に流されてしまったら、大変なことになります。いざというときは、早めに避難するしかありません。「いのち」を守るために。
最後に、もうすぐ10月です。4月から6ヶ月が過ぎました。ということは、今の学年は、残り半分です。この半年で、どんなことが自分でできるようになりましたか?振り返って、残り半分の目標をもう一度考えてください。
特に、6年は、修学旅行。5年は、野外学習と大きな行事があります。みんなで協力をして、すばらしいものにしてください。運動会の時にも言いましたが、みんなが小さな努力を続けていくことが成功へのポイントです。がんばりましょう。』
伊勢湾台風について、次のページを見て頂けるといいです。
名古屋市立白水小学校(紹介した作文が載っています)
http://www.hakusui-e.nagoya-c.ed.jp/taihuu/taihuunohi.html
当時の記録映画
http://www.quake-learning.pref.aichi.jp/isewan50/gallery/aichi_mov.html
http://nagoyakoho.com/jisyu/isewan.asx
記録写真
http://www.quake-learning.pref.aichi.jp/isewan50/gallery/aichi.html
http://www.quake-learning.pref.aichi.jp/isewan50/gallery/nagoya.html
*今日のお昼は、お弁当でした。楽しいお弁当タイムの様子も少し載せました。