柿のお話 2 春日井は柿の有力産地でした
- 公開日
- 2012/11/30
- 更新日
- 2012/11/30
食育・給食
春日井の柿は,明治37年(1904)に高見堂善太郎(たかみどうぜんたろう)さんが,岐阜の富有(ふゆう)柿を,田楽原(現桃山地区)に植えたのが始まりとされています。その後,従来から栽培されてきたしぶ柿に,接ぎ木(つぎき)したり新植したりして,今日の発展の礎(いしずえ)が築かれました。おりしも,日露戦争後(にちろせんそう)の不況(ふきょう)を克服(こくふく)するために,農家の多角経営の一環として市内各地区に広がりました。
太平洋戦争時には,桃と同様に耕地が荒れ果てましたが,戦後の復興は早く,特に下原地区,大泉寺地区で栽培面積が広がりました。
かきは,9月ごろから出回り始め,10月・11月が旬の「柿」は,昔話の「さるかに合戦」にも登 場するほど古くから日本人と馴染み深い果物でした。「柿が赤くなると医者が青くな る」なんて諺があるほど,豊富なビタミンA・Cなど高い栄養価で知られています。日本原産ではなく中国の揚子江沿岸から渡来し,ヨーロッパやアメリカにはないため, 西洋でも「カキ」と呼ばれています。その種類は30〜40種以上あり,甘柿の中では” 富有柿””次郎柿”が有名です。
今日の給食のかきは,岐阜県産です。