<校長室の窓> 教師の心構え
- 公開日
- 2021/02/01
- 更新日
- 2021/02/01
校長室の窓(〜2020年度)
本日の「職員会議」で、東井義雄先生の次の言葉を、
全教職員で「共有」しました。
●一人一人の子どもの背後に「親」がある。
子どもは、「祈られている存在」である。
●川は岸のために 流れているのではない
川のために 岸ができているのである。
子どもは 学校のために来ているのではない
子どものために 学校があるのである。
●学校は、できない子をできるようにしてやるところです。
わからないという子どもをわかるようにしてやるところです。
わからない子のために、学校があり、先生があるのです。
●教師の目指すものと、全く逆の考えを持つ子どもも、
粗末にしてはならない。
●教育という仕事は、
子どもを「自分の脚」で歩けるようにしてやることだ。
●マンネリズムの中に教育はない。
まさに、教育者の生き様が問われている。
●「授業の創造」ということは、テクニックの追求ではない。
教師が古い自分を切り捨てて「新しい自分」を生み出していく、
創造的な仕事である。
●「学問」の「学」も「問」も「学ぶ側」に属する言葉。
「なぜかな」という「問」を育てるのが授業。
「問」を封じ込めてはいけない。
●教科書にあるのは、素材である。
それが生きたものになるかどうかは、
教師に「願い」があるかどうかにかかっている。
「願い」がぼやけていては、全く授業にならないのである。
●一人一人の子どもの喜びや悲しみ、
といったような「心のひだ」に触れ得ず、
胸の中の声にならない声、つぶやきが聞きとってやれないようでは、
「信頼」も生まれてこないし、
これを軸としない実践は、子どもを動かす力にならない。
●先生方には、
せめて子どもに負けないくらいの生気のある朝のあいさつを、
帰りには、
生気のある明日の出会いを期待したあいさつを、お願いしたい。
●きびしさを、私は先生方に大切にしていただきたい。
しかし、憎しみや呪いや冷酷さを育てるようなきびしさだけは、
どんな場合にも避けていただきたい。
●根を養えば、樹はおのずから育つ。
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