学校日記

<校長室の窓> 言葉にすることの意味

公開日
2020/06/17
更新日
2020/06/18

校長室の窓(〜2020年度)

南中生の皆さんへ


人間、頭の中に思い描いていることは、
なんとなく、「ぼやっ」としていますよね。
混沌(こんとん)としていて、整理されていない状態とも言えます。

「思い」「想念(そうねん)」が、
頭の中で、アイディアとして、
湧いては消え、消えては現れを、繰り返しています。

まるでつかみどころがない状態、
まるで「気体」、そう「水蒸気」のようなもの…。
現れたと思った瞬間、まさに雲散霧消、
跡形もなく消え去ってしまうのです。

その「一瞬の思い」を、言葉にすると、
気体だった思いが「液体」に変わります。
例えるならば、空気中の水蒸気が水になるようなものです。
水・液体になると、容器に入れることができるようになります。

容器に入れることができると、自由に使えるようになります。
水を、コップや水筒に入れて、持ち運び、
必要な場面で役立てることができるように、
自分の思いも、言葉にして、つかまえて使えるようになるのです。

思いを持つことと、
それを「言葉にすること」には、
大きな違いがあります。

何となく思っていることの「言語化」、
それが「言葉にすること」です。

とっても素敵な思いや願いが、
流れ去ってしまい、消えてしまうのは、
あまりに、もったいないことではないでしょうか。

ひと手間(てま)かけて、その時の思いを言葉にする、それを記録する。
思いという気体のような不安定なものを、言葉として液体化する。
さらに、その言葉を記録することで「固体」として固めて、
「確たるもの」にしていく。

さっそく、今の思いを言葉にしていきませんか。
頭の中にある、思いや願いやアイディアを、
どんどん言語化して、言葉として表現して、
それを何かに記録していく、
このサイクルを「習慣化」することによって、
どのような変化が起きだすでしょうか。

思いを言葉に、その言葉を記録。
何に記録しますか、ノートに、あるいはパソコンに。

その言葉を、1年後・5年後・10年後、
見直した時に、どのような「気づき」があるでしょうか。
その時を楽しみに、どんなに小さな思いでも、記録していきませんか。

(参考:「ほめ達」メールマガジン)

私は、教師になってからずっと37年間、
小さな手帳に、「その時の思い」を、メモ(記録)してきました。
とても、「日記」といえるようなものではありません。
人から見れば、雑記帳のようなものです。

10年前のメモをひもとくと、
「あの時あんなことを考えていたんだな」と感じます。

最近は、20代の頃のメモを見て、
「若き日の自分」と会話をしています。