葛西紀明選手から学ぶ(続編)
- 公開日
- 2020/05/10
- 更新日
- 2020/05/10
校長室の窓(〜2020年度)
南中生の皆さんへ
4月27日に「校長室の窓」で、
私が尊敬するスキージャンプの葛西紀明選手(47)が
『朝日新聞』に寄せた文を紹介しましたの覚えていますか。
(その時の文と写真を下に再掲しました)
あの葛西選手が、ノルディックスキーのジャンプ男子で、
ワールドカップ(W杯)個人最多出場試合数を569に更新したとして
5月6日(水)に「ギネス世界記録認定証」を受け取りました。
その認定証の受け取りは「オンラインに」よるもので、
とても話題になりました。
ココをクリックしてください。
葛西選手は、冬季五輪8度出場などでも、
ギネス記録の認定を受けています。
新型コロナウイルスが猛威を振るう世界に向け、
「心を一つにして、この危機を乗り越えましょう」と呼びかけました。
(再掲 葛西選手の言葉 朝日新聞より)
小学生の頃から毎日続けているランニングが今も昔も力の原点
僕が生まれたのは、北海道下川町です。
小さな町ですがジャンプ台があり、
9歳のときに友だちに誘われて初挑戦。
経験したことのないフワッと風に乗る感覚と、
友だちと記録を競い合うことが楽しくて夢中になりました。
足が速かった僕に、
両親はマラソン選手になってもらいたかったようです。
でも、ジャンプが楽しくなった僕は、
「陸上よりジャンプをやりたい」と伝えました。
応援はしてくれたものの、
父からは毎日「走ってこい!」と厳しく言われたものです。
面倒だなと感じる日もあったけれど、
走ることで筋力と持久力がつき、
ジャンプが強くなると気づいてからは、自主的に走っていました。
中学生になると、僕は国内外の試合に出場するように。
あの頃は何も考えずに飛んでいた。飛べていたのです。
しかし大人になるにつれ、
いろいろ考えるようになって多くの壁にぶつかり、
挫折も味わいました。
特に、五輪の舞台では、
魔物に取りつかれたように実力を出せなかったり、
運に恵まれなかったり。
子どもの頃のように何も考えずに飛べたらメダルに手が届くはず…。
そう信じて臨んだ2014年のソチ五輪、その瞬間が訪れました。
無心で飛べた。
その結果、銀メダルを手にできたのです。
メダルを取れたのも、47歳の今も現役でジャンプができるのも、
毎日ランニングを続けてきたことが大きいと確信しています。
体力はもちろん、日々の努力の積み重ねは自信になる。
夢のために何をすべきか考えながら走ると、
頭の中が整理できます。
やめたいと思ったことは一度もありません。
レジェンド(伝説)をまだまだ作りたい。
だから今日も明日も、僕はコツコツと走り続けます。
私は、たまたま運よく、葛西選手とお会いしたことがあります。
実際に、銀メダルも触らせていただきました。
葛西選手は、私のような者にも、とても優しく接してくださいました。
威張らず、さわやかで、何より明るい笑顔が印象的でした。
やっぱり「一流」の人は違うな!と、その時感じました。
「夢のために何をすべきか考えながら走ると、
頭の中が整理できます」
とても、いい言葉ですね!
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葛西選手のソチ五輪銀メダルのジャンプは
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(写真出典 Yahoo!画像等)