<校長室の窓> 名札について思う
- 公開日
- 2020/01/15
- 更新日
- 2020/01/17
校長室の窓(〜2020年度)
保護者の皆様へ
生徒の名札の件につきましては、
2学期に、保護者の皆様向けに、2つの文書を出させていただき、
ことの経緯を説明させていただきました。
そして、この度、必要な生徒には、
50円または120円のクリップを新たに購入してもらいました。
保護者の皆様には、年度途中であるにもかかわらず、
ご理解・ご協力をいただき、誠にありがとうございました。
昨年度も、年度途中に「置き勉」の自由化を行いました。
子どもにとって必要なことは、たとえ年度の途中であっても、
「より良い方法」を取り入れていきたいと考えております。
おかげさまで、今回の名札の件につきましては、
大きな混乱もなく、スムーズに移行しております。
これも、保護者の皆様のおかげと、心から感謝申し上げます。
本当にありがとうございます。
さて、始業式の「校長講話」の後、講話とは別に、
「名札についての私の基本的な考え方」を、全校生徒に伝えました。
以下に、その内容を記載させていただきます。(若干の補足もあります)
ご高覧いただけたら幸いです。
よろしくお願い致します。
私は、以前、のべ5年間、春日井市教育会に勤務しておりました。
朝、自分の机から名札を取り出し、名札を身に付けたとき、
キリッと気持ちが引き締まり、
「公務員」としての自覚を持つことができました。
私は、相田みつを氏の次の言葉が大好きです。
看板をかかげて歩け看板を
だれのものでもない
自分のいのちの看板を
この言葉の意味とは少しニュアンスは異なりますが、私は、
「名前を市民の皆様に名乗ることによって、
誠意ある対応をすることができる、
責任ある行動をとることができる。」
と考えていました。
窓口にみえた様々な方々にも、自分の名前を名乗ることによって、
“いい意味”で緊張感と責任感を持って、対応することができました。
きっと、警察官も消防士も医師も看護師も保育士も銀行マン…も、
同じような気持ちを持ってみえると思います。
名札をつけるということには、
そういう「重い」意味があるのです。
では、学校で、なぜ、名札をつけるのでしょう。
理由は様々です。
わかりやすい例をお話ししましょう。
私のような「校長」という立場からですと、
次のような時に名札がどうしても必要です。
生徒の緊急時に、
「○○さんが廊下で倒れた。至急、救急車と保護者へ連絡を!」
という場合に、名札があるか無いかでは、タイムラグが生じます。
また、一生懸命掃除をしている生徒に、
「○○さん、いつも掃除を頑張っているね!」と、
名前で褒めてあげたいのです。
そして、授業中に一生懸命発表している生徒を見かけたら、
担任の先生に、
「今日の○○さん、社会の時間に本当に良い意見を言っていたよ。」
と、名前で報告してあげたいのです。
だから、皆さんには、学校内では必ず名前を付けてもらいます。
人に強要するのですから、私も必ず名札を付けます。
もし、私が名札をつけ忘れていたら、
「校長先生、名札がありませんよ!」と叱ってください。
校長と生徒という立場であっても、
「一個の人格」としては「対等」です。
「一人の人間」としては「対等」なのですから。
皆さんには、
「学校に来たら名札をつける」
「教室に入ったら名札をつける」
という習慣をつけてもらえたらいいな!と思っています。
小学校の時もそうだったと思います。
私は、「必要な時」に「必要な場所」で、
名札をつければいいと思っています。
私は、名古屋の「街中」で名札をつけて歩いている人を、
今まで一度も見たことがありません。
街中を、名札をつけて歩くのは、いかがなものかと思っています。
校区も、名古屋と同じ「街中」です。
もしも、その「街中」で、名札をつけることを、
学校が生徒に強制したり、強要することがあるとすれば、
それは、「人権問題」であると思っています。
もちろん、自分の意思でつけている人は、全く構いません。
ですから、昨年度、この学校に赴任した時から、
一種の「違和感」を感じていました。
生徒指導の教師は、
朝、皆さんに「名札あるか?」とたずね、指導してきました。
皆さんは、朝から、とても嫌な気持ちになったことでしょう。
実は、そう指導している生徒指導の教師も嫌なのです。
自分にも、経験があるから、生徒指導の教師の気持ちがよくわかります。
本校の生徒指導の教師は、
本当は、とても優しく生徒思いの教師です。
それから、この学校では伝統的に、
名札を忘れた人に、「紙の名札にマジックで名前を書いてつけさせる」
という指導をしてきました。
皆さんは、とても嫌な気持ちになったでしょう。
それをする教師も、実は嫌なのです。
生徒も教師も、ともに「嫌だ」と思っていること、
そんな馬鹿げたことは、やめればいいのです!
この3学期から、そういう指導は「撤廃」します!
皆さんは、SCRAP&BUILD(スクラップ・アンド・ビルド)
という言葉を知っていますか。
不用なものは壊し、本当に必要なものを立(建)て直すという意味です。
私は、校長の責任として、
名札についての好ましくない指導や悪しき習慣を「スクラップ」します。
では、誰が「ビルド」するのでしょう。
それは、君達「生徒」です。
2学期に、生徒会執行部・議員・学級委員に図書室に集まってもらって、
みんなで議論した時、とても良いアイデアが生まれましたね!
また、今回、「教室保管」を選択肢に入れた時、
「こういう方法がとても効率的です!」とA4版のリポートを作成して、
担任の先生に提案してくれた2年生の女子生徒…。
私は体が震えるほど感動しました。
本当に素晴らしいと思いました。
そして私は、そのリポートを思わずコピーし、
今も、こうして大切にしています。
生徒自身によるこういう姿勢が大切なのです!
名札を忘れないためにはどうしたらいいか、みんなで議論する。
そして、クラスの皆で考えたことを実行してみる。
うまくいかなかったら、また、次の方法を考える。
やがて、そうした姿勢は、名札という小さなことから発展して、
どうしたらより過ごしやすく楽しい学校になるかを
みんなで「真剣」に考える!
そういう雰囲気を、学校全体に醸成していくことにつながるのです。
そして、その中で、君達は気づくでしょう。
「教室においてある名札がなくなるようなこと(紛失・盗難)は、
絶対にあってはならない!」
「そうなれば、今、快適な登下校を可能にしている
あの置き勉さえも危うくなる」
「自由は責任を伴うもの」
「自由には枠があるのだ」と…。
皆さんが、生きていく時代は「激動の時代」です。
「変化に対応できる人だけが生き残れる」とも言われています。
「今まで通り」を「よし」とするのではなく
「これからどうしていくべきか」ということをしっかり考える姿勢。
それを学ぶのが学校なのです。
この学校を良くしていこうとして考え、実践していく。
そのことが、皆さんが社会に出た時に活躍するための
いわば「トレーニング」になるのです。
学校は、より良き社会人になるために準備をするところ。
より良き社会人になるための心構えと手立てを学ぶところ。
より良き社会人になるために「生きる力」を身につけるところです。
ですから、「たかが名札 されど名札」なのです。
保護者の皆様、最後までお読みいただき、
本当にありがとうございました。
私は、生徒には「自己肯定感」を育みたいと思っておりますが、
そのためにも、「主体性」「自主性」「意思決定力」「自己責任の視点」
などを、同時に育まなければならないと考えています。
今後とも、ご理解・ご協力の程、何卒、よろしくお願い申し上げます。