学校日記

<校長室の窓> 足るを知る

公開日
2019/03/22
更新日
2019/03/22

校長室の窓(〜2020年度)

南中生の皆さんへ 

「足(た)るを知る」という言葉を知っていますか。
簡単に言えば、
「満足することを知っている者は、心豊かに生きることができる」
という意味です。

これは、中国の老子(ろうし)の言葉です。
京都の竜安寺(龍安寺)の「つくばい」にも、
「吾唯足知」(=われ、ただ、たるをしる)という文字が刻まていて、
とても有名です。

「足るを知る」という言葉には、
実は、色々な解釈がありますが、
今日は、2つを紹介したいと思います。

まず、「物」についてです。
次々に新商品が生み出され、物があふれた現代社会では、
さまざまな物が「使い捨て」の状態になっています。
そのような環境に生きていると、
どうしても、「もっと機能が充実した新しいもの」
「バージョンアップしたもの」に目が向いてしまいがちですね。
そして、「必要かどうか」を検討することなく、
すぐに、新しいものを手にしようとしてしまいます。

しかし、ちょっと立ち止まって、
「これを買うことで、本当に自分の人生は豊かになるだろうか?」
と、思いめぐらすことも必要です。
何ごとも、
流行や世の中の基準に流されるのではなく、
そして新しいものや高級なものを求めるのではなく、
「自分自身に合ったもの」を選ぶことが大切ではないでしょうか。

そうすることが、幸せを感じる鍵(かぎ)なのです。

もう一つは、「心」についてです。
自分の内側(うちがわ)に目を向けてみましょう。
「足るを知る」というと、
「欲張らずにほどほどのところで満足すればいいのだ」
と解釈してしまう人も多いかもしれません。

しかし、老子の言う「足る知る」というのは、
そのような「仕方なく満足する」という消極的な意味ではありません。
「これで良い」のではなく、
「これが良い」と思える生き方。
今の自分自身に満足することこそが、「足るを知る」ことなのです。


自分が持っているもの、
自分が身につけてきたもの、
自分がこれまで得てきたものを認め、受け入れ、まずはそれに満足する。
もちろん、上を目指すことは、とても大事なことですし、
「欲」があるからこそ、人は努力することができます。
「人に良く見られたい」
「人から好かれたい」
「尊敬されたい」
そういう気持ちがなければ、頑張れないことだって、確かにあります。

しかし、そればかりでは、心が疲れてしまいます。
どんなに頑張って何かを得ても、
それに満足することなく、
「もっと、もっと」と次を望むのでは、
自分自身が報(むく)われません。

時には、自分の内側に目を向けて、
「自分はこんなに多くのものを手に入れてきたんだな」と、
今までの自分自身を認めて、
自分を誉(ほ)めてあげることも大切です。
それが、心安らかに生きるための一つの知恵とも言えるでしょう。

努力は、とても大切です。
夢に向かって頑張ることも、極めて大切なことです。
でも、それで疲れてしまって、自分を見失ったら、意味がありません。
たまには、自分をふり返って、
「今まで本当によく頑張ってきたな」
「遠い道のりをしっかりと歩んできたな」
と、自分を褒(ほ)めてあげることも大切なのです。

写真は竜安寺(龍安寺)の「つくばい」の写真です。
口という文字が真ん中にあります。
周りの文字と組み合わせて右回りに読んでいくと、
「吾唯足知」となります。
(写真出典 Yahoo!画像) 

※「校長室の窓」は、春休みはお休みさせていただきます。