<校長室の窓> 金子みすゞから学ぶ
- 公開日
- 2018/06/15
- 更新日
- 2018/06/16
校長室の窓(〜2020年度)
保護者の皆様へ
今日は、金子みすゞの「土」をご紹介致します。
土
こッつん こッつん
ぶたれる土は
よいはたけになって
よい麦生むよ。
朝からばんまで
ふまれる土は
よいみちになって
車を通すよ。
ぶたれぬ土は
ふまれぬ土は
いらない土か。
いえいえそれは
名のない草の
おやどをするよ。
続きまして、今日も、金子みすゞ記念館館長で児童文学作家・童謡詩人の
矢崎節夫氏の言葉をご紹介します。
「土」を読むと、「地球上には一つとして無用なものはない!」
と気づけて、うれしくなります。
わたしたち人間も含め、全ての動植物は、地球から生まれました。
地球は一つとして、無用なものをつくっていません。
全て「いるだけでいい」「いるだけで役に立っている」のです。
ただ、とても恥ずかしいことに、
地球上にいちばんあとに生まれた私たち人間が、
先輩である動植物に対して、これは役に立つ、これは役に立たないと、
勝手に区別しているのです。
素敵な随筆を書かれる岡部伊都子さんに、
「いのちという大樹に、共に咲いている美しい花家族」
という言葉がありますが、
この共に咲いている美しい花家族の多くを散らしてきたのは、
私たち人間なのです。
金子みすずさんは、
ぶたれぬ土は ふまれぬ土は いらない土か
いえいえそれは 名のない草の おやどをするよ。
と、うたっています。
地球上には、一つとして、無用なものはないのです。
実は、私たち大人にとって、子どもという存在も同じです。
子どもは、
「いるだけでいい」のです。
「いるだけで役に立っている」のです。
大人の言うことをきく、きかないではなく、
ましてや、勉強ができる、できないの問題ではなく、
子どもは、
「いるだけでいい」
「いるだけで役に立っている」
存在なのです。
しかし、私を含めて、多くの大人は、
わが子に、この言葉を言ってあげていないかもしれません。
いえ、その理由さえ忘れているかもしれません。
「なぜ、子どもはいるだけでいいのでしょうか。」
「なぜ、子どもはいるだけで役に立っているのでしょうか。」
その答えは、子どもたちがいれくれるおかげで、
私たち大人は、日々を過すことができるからです。
なぜなら、もし今、一瞬にして、地球上から子どもが消えてしまって、
新しい命が生まれないとしたら、
大人である私たちは、
昨日と同じ今日を、今日と同じ明日を過すことができるでしょうか。
私たち大人が、昨日と同じ今日を、
今日と同じ明日を過ごすことができるのは、
私たちの命が未来に続くということを証明してくれる、
「子どもという存在」がいるからです。
もちろん、子どものことが心配で眠れる夜もあるでしょうが、
それでも、未来を夢見ることができるのは、
命を確実に未来に運んでくれる子どもという存在が
いてくれるおかげです。
子どもは、いてあたりまえと、一方的に思いがちな私たち大人ですが、
そろそろ、存在してくれるありがたさを、思い出したいと思います。
いかがですか。
釈迦に説法をお許しください。
金子みすゞの詩の本校HPへの掲載は、
『金子みすゞ童謡全集』のJULA出版局から許可をいただいています。
参考文献『子とともに ゆう&ゆう』
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(写真出典 ウィキペディア)