学校日記

<校長室の窓> 金子みすゞから学ぶ

公開日
2018/05/21
更新日
2018/05/21

校長室の窓(〜2020年度)


こだまでしょうか  金子みすゞ

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「ばか」っていうと
「ばか」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか。
いいえ、だれでも。


金子みすゞの詩の本校HPへの掲載は、
『金子みすゞ童謡全集』のJULA出版局から許可をいただいています。



保護者の皆様へ

金子みすゞ記念館館長で児童文学作家・童謡詩人の矢崎節夫氏の言葉を
ご紹介致します。

(以下引用)

「こだまでしょうか」は、東日本大震災の後、
テレビやラジオで、繰り返し放送されました。
覚えていらっしゃる方も、多いことと思います。

こだまの「原形」は、赤ちゃんとお母さんの心音(しんおん)です。
お母さんのお腹が少し大きくなって、お医者さんが聴診器を当てると、
赤ちゃんの心音とお母さんの心音が、
「トクトク」「ドクドク」と聞こえます。
「いるよ。」「いるね!」
「うれしいな。」「うれしいな!」
「大好き。」「大好き!」
と、赤ちゃんとお母さんの心音がきちんと「こだま」し合ったから、
私たちは、人間として生まれてくることができたのです。

ですから、「こだま」は、
相手の存在を「丸ごと」受け入れて、返してあげる、
「人間の最も大切な行為」なのです。

かつて、私たちの周りにいた大人たちは、
みんな「こだま」してくれました。
私が転んで、「痛い」といった時、父や母は「痛いね」と、
私の痛さに寄り添って、「こだま」してくれました。
おじいちゃん・おばあちゃんは、
「痛いね、痛いね。」と何度も言ってくれた後に、
「痛いの、痛いの、飛んでけ!」までやってくれました。
だから、、いつのまにか痛さは消えてしまいました。

今はどうでしょうか。
わが子が「痛い」と言った時、
「痛くない、泣くな!」と一方的に否定し、
一方的に励ましてはいないでしょうか。

「このお母さんなら、お父さんなら愛してくれる」と思って、
生まれてきたわが子です。
百歩譲って、このことを証明できないとしても、
まちがいなくその子が生まれてきて、親にしてくれたのです。

この愛してくれるはずの大人から、
痛いときに「痛くない」と否定された時、
その子の痛さは、どこへ行くのでしょうか。
痛さや悲しさや寂しさを入れる「心の器」に押し込めるしかないのです。

そして、残念ことに、
この器がもういっぱいになっている子どもがいます。
そうすると、新しい痛さや悲しさや寂しさに出会ったとき、
器には、もう入りきらないのです。
子どもは、それを「空(から)」にしなければなりません。

そんな時、私たちは、
「なんであんないい子があんなことをするのだろう」
「どうしてあんな優しい子が…」
と驚きます。

時には、
「時代が変わったんだ」
「世の中が変わったんだ」
「学校が変わったんだ」
と、他人のせいにしてこなかったでしょうか。

大人の私たちが、一番大切な「こだま」してあげることをしないで、
一方的に否定し、一方的に励ましてはいけないのです。
もう一度、「こだま」の大切さを、
そして、「まず受け入れてあげる優しさ」を、
私たち自身の心に、しっかりと育てていきたいと思います。

子どもたちは、大人の私たちを見て、
いくらでもうれしい方向にいける存在なのですから。

(引用終わり)

いかがですか。
釈迦に説法をお許しください。
私は、わが子の「心の痛みに」に「こだま」してきたのだろうか。
教師として、子どもたちに「こだま」してきたのだろうか。
と、激しい自省の念に駆られました。

※参考文献『子とともに ゆう&ゆう』
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(写真出典 Yahoo!画像)