学校日記

10月29日集会

公開日
2018/10/29
更新日
2018/10/29

校長メッセージ

10月29日 集会

先日の高森祭では、高中生全員で素晴らしい場面と時間を共有することができました。実践、そして実り+の2学期にふさわしい文化祭でした。このよさ・素晴らしさを次につないでいきましょう。祭りは終わった後が大切ですね。

さて、ここにある学級の旗があります。
普段は北館1階に掲示してあったので、1年生の皆さんはよく知っていますね。先日の体育大会・文化祭でも皆さん目にした7・8組の旗です。高森祭では7・8組の皆さんの素晴らしい演奏や、みんなとの合唱の様子は印象深いものでした。
実は体育大会の応援用のうちわにも同じ言葉が書かれています。体育大会の前に2年生の人からいただきました。私はそれ以来大事にしています。

今日は、この旗に書かれている言葉を参考に、全校で共有したいと思います。
『人見るもよし 人見ざるもよし 我ら咲くなり 7・8組』 
ちょっと元に直すと
『人見るもよし 人見ざるもよし 我さくなり』
ということになります。
この言葉は、明治時代後半から昭和51年90歳で亡くなるまで文学・美術・芸術・思想と幅広い分野で活躍した「武者小路実篤」の言葉です。
武者小路実篤の作品には、「友情」「お目出たき人」などの文学作品や、野菜や花などを描いたものがたくさんあります。
先ほどの言葉は、描いた絵に書き添えた「画讃」とよばれる短い言葉です。

皆さんは、この言葉はどんな意味だと思いますか?ちょっと考えてみてください。
どんな意味に捉えるのか、その受け止め方は様々だと思いますが、私は、次のように受けとめています。
野に咲く花、その花はそれぞれの有りようで成長し、それぞれに応じて季節を受けとめながら成長し一番適したときに花を咲かせ、実を結ぶ。それは、その花だけの咲き方であり、それこそがその花にとっての生き様である。誰かが見ていようといなくとも成長し、その花が咲くときが、その花にとって一番ふさわしい咲き方である。
翻って、人間は、人にどう見られているか、人にどう評価されるかは気になるところ。でも、自分は自分。人がどう見ようと、また、人が見ていてもいなくても自分は自分らしく、自分にふさわしいときに力を付け、それを発揮していていく。だから、くよくよしなくてもいい。大空のもとで、自分を律し、自ら力をつけるよう、自分に挑戦していく。大空が、自分がちゃんと知っている。いかがでしょうか。
かけがえのない自分。その自分を大事にするのはまず自分。まわりの人と比べて、自信が持てない人もいるかもしれません。でも、比較するのは、挑戦するのは、昨日の自分、今の自分です。
ただし、自分のことだからといって、独りよがりでよいということではありません。誤解がないようにしましょう。武者小路実篤も、実はこんな絵と言葉を表現しています。
『君は君 我は我なり されど仲よき』
2つの野菜のように見ためも役割も違いがあるのは当たり前。でもその2つが合わさることで互いのよさを引き出し、よい料理となる。人間も同じですね。見た目や考え方に違いがあるのは当然のこと。上手くいかないな、苦手だなと感じることもあるでしょう。時には自分に正直であることと、相手を傷つけないようにしようとして苦しい思いをすることもあります。でも、そのようして成長していくのです。だから、結びの「されど仲よき」は、ただ単に仲良しです、としているのではなく、相手のよさも、そして場合によっては欠点なども受け入れていく、そういう関係が大事であるとの受け止め方ができることは、今の高中生の皆さんなら難しくありませんね。自分を大事にして、そして相手のことも考えて、互いの存在を認め合うことによって、ともに高め合っていくことができる。皆さんも、文化祭の合唱やその他の活動でも、実感することがあったのではないでしょうか。
今一度、2つの言葉をつなげて考えてみましょう。
『人見るもよし 人見ざるもよし 我さくなり』
『君は君 我は我なり されど仲よき』

かけがえのない自分、そして君・あなた。自分も大切、そしてあなたも大切、一人一人だれもが大切なのです。だから互いに認め合う、互いに高め合っていけるのです。高中生全員が、このことを大事にしていってくれることを強く願っています。
残りの2学期の日々を、それぞれの場面でさらに実り+にしていきましょう。