昭和30年代の東部中 その9
- 公開日
- 2008/04/01
- 更新日
- 2008/04/01
東部中の歴史
その8の写真を見て、どんなことに気づきましたか?この前の写真の4つの部分を拡大してみました。
1枚目は、現在の西門付近。現在は、用水と道路がありますが、全く違っていますね。かなりの高さの線路跡の土手があって、今は簡単に西の方へ行けますが、よじ登らないと無理ですね。用水は、学校と土手の間にありました。昭和40年に、この土手は崩され、西の穂への通行ができるようになり、同時に現在の正門ができました。なお、右側の「校校歌」とある部分は、保育園です。もうすぐ咲きそうな桜は、今と同じ位置にありますね。
2枚目の現在の3号館は、ほとんど同じですね。この次の年に東側が作られて今の形になりました。3枚目の北門付近、桜の木がまだ小さいですね。4枚目は、現在体育館がある所です。学校の東側には何もありません。バックネットも、上の段にありました。