2学期始業式です!
- 公開日
- 2012/09/03
- 更新日
- 2012/09/03
校長メッセージ
9月3日(月)、2学期始業式を行いました。校長先生の式辞の後、みんなで校歌を歌いました。式の後、表彰を行い、最後は代表児童(男鹿交流学習・市長とわくわくトーク・陸上部)の報告を聞きました。校長先生の式辞の一部を紹介します。
2学期始業式の日を迎えました。夏休み中、大きな事故やケガもなく、こうしてみなさんの元気な顔を見ることができてとてもうれしく思います。さて、夏休み中にロンドンオリンピックが開催されました。日本の選手が大活躍して、大きな感動を呼びました。オリンピックは4年に1度開かれます。では4年前、ロンドンの前にオリンピックが開催された都市はどこか、知っていますか?
4年前の2008年、中国の北京という都市でオリンピックが開かれました。きょうはその北京オリンピックに出場した、ある日本人選手の話をします。
その人の名まえを石黒由美子さんといいます。彼女はシンクロナイズドスイミングという種目に出場しました。
きょうはなぜ石黒由美子さんの話をしようと思ったかというと、彼女は小学生の時に大変な目に遭って、生きるか死ぬかの境をさまよったことがあるのです。そして不屈の志で日本代表に選ばれ、北京オリンピックに出場を果たしました。
その彼女が小学生の時に起きた大変なこととは、交通事故です。由美子さんがまだ小学2年生のころ、乗っていたお母さんの車に、いきなり暴走した車が突っ込んできました。すごいスピードで衝突。由美子さんは意識を失い病院に運ばれました。由美子さんの症状は、顔面骨折、網膜剥離、手足の骨折。そして、顔になんと540針も縫うほどの大ケガを負いました。
何とか一命はとりとめたものの、顔の神経が傷だらけになっていました。その後、由美子さんの意識は回復しましたが、顔には大きな傷が残り、右目はまぶたを閉じることができなくなっていました。しかし、由美子さんは入院中に、ある夢を見つけていました。それは、シンクロナイズドスイミングです。偶然見たテレビドラマで、主人公がアキレス腱を切って絶望しながらも、シンクロナイズドスイミングでもう一度自分の夢にチャレンジするというドラマ。その主人公に自分の姿を重ねていたのです。
事故から半年後に退院。すぐにシンクロのクラブに入会しました。普通の健康な体でも、みんなに演技を合わせるのは難しいシンクロ。しかし、由美子さんは決して諦めませんでした。来る日も来る日も必死で練習を続けました。そんな由美子さんをお母さんも全力で応援しました。
しかし、そんなお母さんが愕然とする事件が起きます。それはお母さんが由美子さんの小学校の授業参観に訪れたときのことです。由美子さんが同級生から「フランケン」と呼ばれているのを聞いてしまったのです。お母さんは我慢できなくなり、その同級生に詰め寄ろうとしました。その瞬間、「な〜に?」と由美子さんが明るく友達に返事をしたそうです。
顔に障害を持つ由美子さんに「フランケン」などと心ない言葉をかけるその同級生は絶対に許されません。それなのに由美子さんはそれに負けずに明るく振る舞っている。
「一番つらいのは由美子なのに。それをこらえてこんなに明るく振る舞えるなんて……」
お母さんはしばらく涙が止まりませんでした。
「由美子は事故の恨み言を一切言わなかった。いつも元気だった。それが私をどれだけ救ってくれたことか」と、お母さんは当時を振り返ります。
由美子さんとお母さんは毎日必死でがんばりました。毎日、毎日、人の3倍も4倍も努力を重ねました。そして、2008年北京オリンピックに出場するシンクロナイズドスイミング日本代表8人の中についに由美子さんが選ばれたのです。
壮絶な事故を乗り越えて、見事オリンピックの夢を果たした石黒由美子さん。現在は、シンクロの世界を引退し、大学院に通っています。そんな彼女の現在の夢は、「障害を持った人達に勇気を与えること」です。
さて、いよいよ2学期が始まりました。みなさんもいろいろな目標や夢を持って取り組んでいくと思います。くじけそうになったり、もうこれ以上がんばれないと思うときもあるでしょう。そんなときは、きょうの話を思い出してくださいね。