学校日記

朝会です!

公開日
2011/11/17
更新日
2011/11/17

校長メッセージ

 11月14日(月)、朝会がありました。はじめに表彰伝達、次に校長先生の話、最後に前期児童会役員のあいさつがありました。校長先生の話の一部を紹介します。
 11月に入って2週間ほどたちました。歴史をひもといて11月にどんな出来事があったか調べてみました。すると今から120年ほど前の11月、日本で初めてあるものが作られたということがわかりました。それはみなさんの教室にもあるものです。ヒントは音が出るものです。わかりますか。そう、オルガンですね。今から120年ほど前の11月、日本で初めてオルガンが作られました。作った人は山葉寅楠(やまはとらくす)さんという人です。
 山葉さんが仕事で浜松にいた時の話です。浜松のある小学校にアメリカ製のオルガンがありました。でもそのオルガンが壊れて音が出なくなってしまったのです。校長先生は「誰か修理のできる人はいないだろうか」と困っていました。その話を聞いた山葉さんは「それなら自分がやってみよう」と思いました。しかし、今までオルガンなんて見たことも触ったこともありません。いろいろ調べていくうちに、バネが2本壊れていることを見抜いた山葉さんは見事にそのオルガンを修理することに成功しました。校長先生を始め、子どもたちも大喜びでした。
 山葉さんは、みんながこんなに喜ぶものなら、何とか日本製のオルガンができないだろうかと考えました。そして職人の河合喜三郎(かわいきさぶろう)さんという人と一緒にオルガンづくりに取り組みました。山葉さんと河合さんの2人は時間を惜しんでオルガンの仕組みを研究し、必要な部品を作り、努力と工夫を重ねて、ついに、日本初のオルガンを作り上げました。
 ここまでも大変でしたが、ここからがまた大変でした。2人は作ったオルガンを学校に持っていったところ「形はオルガンだが音がおかしい」と言われました。そこで2人は、東京の音楽取調所というところでオルガンの音を調べてもらおうと考えました。しかし120年も昔の話です。オルガンを運ぶ交通機関がありません。どうしたと思いますか。
 何と、山葉さんと河合さんはオルガンをてんびん棒で担いで浜松から東京まで運んだのです。途中、山もあれば川もあります。雨の日も風の日もあります。それでも2人はくじけず、オルガンを東京まで運びました。
 こうして東京の音楽取調所で調べたところ、音階がばらばらで調律が全くできていないといわれました。それもそのはず、山葉さんも河合さんも正式に音楽の勉強などしたことがなく、音階の知識が全くなかったのです。2人はそのまま東京に残り、音楽理論と調律法について1ヶ月かけて学びました。
 こうしてオルガンの仕組みを研究し、音楽についてきちんと勉強し、調律の仕方もしっかり学んだ山葉さんはその後、どこへ出しても立派に通用するすばらしいオルガンを作っていきました。みなさんが普段目にしているオルガンに、こんな歴史があったのですね。