学校日記

朝会です!

公開日
2011/05/16
更新日
2011/05/16

校長メッセージ

 5月16日(月)、朝会がありました。校長先生の話の一部を紹介します。
 5月に入り、2週間ほど過ぎました。ちょうど今、「新緑」といって木々の緑がとてもさわやかで気持ちのいい季節を迎えています。みなさんはどうですか。さわやかで気持ちのいい毎日が送れていますか。きっとみんな、それぞれの目標に向かってがんばっているところだと思います。
 さて、みなさんは辻井伸行さんという人を知っていますか。辻井伸行さんという人は、日本を代表する有名なピアニストなのです。彼は17歳のときポーランドで行われたショパン国際ピアノコンクールに最年少で出場しました。そして20歳のときにアメリカで行われたヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝しました。これは日本人として初めての優勝でした。このニュースを聞いて日本中が喜びました。
 辻井さんのすごいところは、20歳という若さで日本人として初めて優勝したというのはもちろんなのですが、実はこの人は生まれながらに全盲、つまり生まれたときから全く目が見えない人なのです。
 先日、この辻井伸行さんのお母さん、辻井いつ子さんという人ですが、いつ子さんの話を聞く機会がありましたので、少しその内容を紹介します。
 お母さんは彼が生まれて目が全く見えないことがわかったとき、とてもショックを受けました。自分でもどうしていいかわからなかったと言っています。4月、きれいに咲いた桜の花を見ても「この子にはこの美しい花を一生見ることができないのだ」と涙が止まらなくなり、12月、町中をきれいに飾るクリスマスツリーを見ても「この子は、この華やかさが一生わかることはないのだ」「この子は生まれてきて幸せなのだろうか」とさえ思ったこともあったそうです。
 では何が、そんなお母さんと伸行さんを変えたのでしょう。
 それは彼が生まれて8ヶ月が経ったころのことです。当時、辻井さんの家では、ショパンの「英雄ポロネーズ」という曲をよくかけていたそうです。あるとき、そのショパンの英雄ポロネーズを聞きながら彼が全身でリズムをとりながら、その曲に見事に合わせて足をバタバタさせていたのです。最初は単なる偶然かと思ったのですが、音楽に対して明らかに興味を抱いて聴いているのがわかります。
 そのときお母さんは、「この子には音楽の才能があるかもしれない」と思い、それ以来、伸行さんとお母さんのピアノにかける毎日が始まったと言います。
 しかし、その努力や苦労は並大抵のものではありません。みなさん、目を閉じてください。もしそこにピアノがあったとしてそのピアノを弾くことができますか。楽譜はどうやって読み取ればいいのでしょう。
 本当に本当に、他の人が1時間で済む練習を、5時間も10時間もかけて、それこそ血のにじむ努力を積み重ねてピアニストになったのです。
 さて、みなさん、みなさんもいろいろな目標に向かってがんばろうとしたとき、「やっぱり僕なんか、いくらやってもだめなんだ」とあきらめてしまうこともあるでしょう。「どうせ僕なんかできない」と思って何もしなければ、何もできるようにはなりません。できるかできないかはやってみなければわかりません。もしみなさんがくじけそうになったとき、きょうお話しした辻井伸行さんとお母さんのことを思い浮かべてみてください。少し勇気がわいてくるかもしれませんね。