学校日記

学問の神様 菅原道真

公開日
2013/01/25
更新日
2013/01/25

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 昌泰4年[しょうたい](901)の1月25日、菅原道真は、九州に流されました。
 長年住み慣れた自宅の庭に植えられていた梅が咲いているのを見て、この日、
「東風(こち)吹かば匂ひ送来(おこ)せよ梅の花 主(あるじ)無しとて 春を忘るな」
と詠み、都を旅立ちました。
 今から1000年以上昔の平安時代、京の都では藤原一門が高い地位につき、政治に大きな力をふるいました。そこで、宇多天皇や醍醐天皇は、藤原氏をおさえようと、学者として名高い菅原道真(すがわらのみちざね)を取り立て、道真はとうとう右大臣になりました。
 ところが、左大臣の藤原時平が、道真をおとしいれられ「道真は政治をひとりじめしようとしている」という疑いをかけられて、都を追われ、九州にあった太宰府という役所に職を変えられてしまいました。
 言いがかりで九州に、住まされた道真は、はげしく思いなげき、わずか2年後に九州で亡くなってしまいました。
 そのころから京の都によくはげしいかみなりが落ち、藤原氏の館もかみなりで火事になりました。やがて、都の人々はささやき始めました。「このひどいかみなりは、九州で無念に死んだ道真公のたたりにちがいない」と、道真は、都の守り神として、京都北野に天神さまとしてまつられました。
 菅原道真がまつってある、天神社では、毎月25日を天神の縁日とし、一年で最初の縁日は「初天神」と呼ばれています。