戦国武将・豊臣秀吉 (6年生)
- 公開日
- 2013/09/18
- 更新日
- 2013/09/18
第6学年
豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし)/ 羽柴 秀吉(はしば ひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、三英傑(さんえいけつ)の一人ですね。
尾張国の愛知郡中村(今の名古屋市)の農民の子として生まれ、織田信長に仕え、しだいに頭角を表しました。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると、中国大返し(ちゅうごくおおがえし)または備中大返し(びっちゅうおおがえし)により京へと戻り、山崎の戦いで、光秀を破り、信長の後継の地位を得ました。
その後、大坂城を築き、関白・太政大臣に任ぜられました。豊臣の姓を賜り、日本全国の大名を従え天下統一を成し遂げました。太閤検地や刀狩りなどの政策を行いました。慶長の役の最中に、嗣子の秀頼を徳川家康らに託して没しました。
墨俣の一夜城、金ヶ崎の退き口、高松城の水攻めなど機知に富んだ逸話が伝わり、農民から天下人へと至った生涯は、「戦国一の出世頭」と評されていますね。
きょうは、豊臣秀吉が亡くなった日です。(旧暦の8月18日)