前ページへもどる  ホームへもどる                


 田植えのあとの大切な作業は,水不足をおこさないための灌漑(かんがい),除草(じょそう),追肥(ついひ)でした。
 特に稲の成長をさまたげる稗(ひえ)などの雑草(ざっそう)がはえてくるので,除草は大切な作業でした。これを「田の草取り」といいました。田の草取りは,田植えがすんだあと4回から5回行いました。おもに一番草は「テマンガ」で行ない,タノクサトリは二番草から使用した。
 稲の間を前後しながら進みました。水田に足を取られるなど使いこなすのに苦労しました。
真夏の間の苦しい農作業でした。
 
 「二回掘って,二回なでる」といわれるように,一番草,二番草は,田の草備中かまんがで土を掘りながら草を取り,三番草,四番草は,田んぼを手でならしながら草を土の中へふせていきました。田の草は,雑草を取るだけでなく,土を掘ることによって,むだな稲の根を切り,土の中に空気を入れてやることで,稲の発育をうながす効果もありました。その後,回転式(かいてんしき)の爪(つめ)を持った除草機(じょそうき)が各地で用いられるようになり,腰(こし)をかがめて作業を行なわなければならなかった雁爪(がんづめ)は姿を消していきました。
こらち

苗の間(条間・じょうかん)を「おおらち」といいました。苗の間の土をひっくり返し,根はりをよくし,田すり(天保銭・てんぽうせん)で土をならし,手で草を取りました。

  
まんが(雁爪),がんづめ(雁爪)

がんづめ(雁爪)ともいい,宝永年間(1704〜10)筑後の笠九兵衛が考案したといわれます。柄に湾曲(わんきょく)した3から4本の爪(つめ)がついていました。一番・二番草に使用し,片手で持ち,田を堀り起こしながら草を土の中へふせていきました。1日5アールくらいの能率でした。

  雁爪(がんづめ)    
八反ずり(はったんづり),天保銭(てんぼうせん)八反ずり,おかめ,田すり
 天保銭(てんぼうせん)八反ずり,おかめ,田すりなどともいわれ,地域によっていろいろなよびかたがありました。明治の中ごろにつくられたといわれ,おもに三番,四番草に用いられました。稲株の条間(おおラチ)を前後にすりながら除草しました,まんがや田の草備中にくらべると,たいへん能率がよく,八反ずりの名がつけられたといいます。
      
除草機(じょそうき)
 稲株の条間(おおラチ)の除草にもちい,天保銭と回転除草機の中間型です。泥土の上を前に押したり後に引いたりしながら,泥土の上をこすって草を取りました。除草機を水田の中で押すことによって胴が回転し,爪で除草するもので,回転式除草機といわれるものにかわっていきました。
     
大らち(回転除草機・かいてんじょそうき),田の草取り機

田の草取り機ともいいました。その原型は明治につくられ,大正のはじめごろから広くつかわれるようになりました。稲株の間をガラガラころがしながら中耕・除草してきました。おもに一番草,二番草につかわれ,作業能率は1日20アールほどでした。
※ 中耕 = 作物の育ちをよくするため発育の途中で表土を浅くたがやすこと。ふつう除草をかねるので中耕除草といいます。

  中耕除草機(ちゅうこうじょそうき)   
株間除草機(かぶかんじょそうき),ドレツ
 ドレツともいいました。ふつうの回転除草機では,大ラチの間は除草できますが,株間(小ラチといった)や株の根元は除草できなかったので考案されました。株間除草をおこなうものですが,効率が悪く,あまりふきゅうしませんでした。
   
田の草備中(たのくさびっちゅう)
 ふつうの備中よりも軽く,また,柄(え)も短くできていました。用途はまんがと同じですが,どちらかというと石まじりの田や土のかたいところで使用しました。腰を曲げたしせいで,両手で備中を持ち,田をすりながら除草しました。
  
畜力水田中耕除草機(ちくりょくすいでんちゅうこうじょそうき
 大正時代に考案され昭和のはじめごろからつかわれました。回転除草機にくらべると能率は3倍から4倍でしたが,旋回するとき持ち上げなくてはならない,牛や馬のひずめで稲株をきずつけるおそれがあるとなどの問題がありました。
  
「背負ダスター」による粉剤散布
  

このページの一番上に戻る