8月20日生まれ 金栗 四三(かなぐり しぞう)
- 公開日
- 2013/08/20
- 更新日
- 2013/08/20
お知らせ
1891(明治24)年8月20日、マラソン選手であり、熊本県の初代教育委員長を務めた金栗四三さんが生まれました。金栗さんは、箱根駅伝の開催に力を注いだり、高地トレーニングを導入したりするなど、日本マラソン界の発展に大きく寄与し、「マラソンの父」と称されています。
金栗さんには、素敵なエピソードがあります。
1912(明治45)年に開催されたストックホルムオリンピックでは、マラソンの日本代表として参加します。しかし、レースの途中で日射病のために意識を失って倒れ、近くの農家で介抱されます。農家で目を覚ました時は、すでにマラソン競技が終わった次の日の朝でした。
今ならスウェーデンへは飛行機を使って10時間ぐらいで行けますが、当時は船と列車で20日もかけて行きました。米の飯はないし、大会当日は30度を超える暑さだし、疲れもあるしで、倒れてしまったようです。金栗選手は「マラソン中に行方不明となった日本人」として、しばらく話題になっていたようです。
それから40年以上の月日が流れます。
1967(昭和42)年3月、スウェーデンのオリンピック委員会が、ストックホルムオリンピック開催55周年記念式典に金栗さんを招待します。「マラソン競技中に失踪し行方不明」になった金栗さんを記念式典でゴールさせることにしたのです。
金栗さんは競技場をゆっくりと走り、用意されたゴールテープを切りました。この時、「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します。」というアナウンスが流れました。この記録はオリンピック史上最も遅いマラソン記録であり、今後もこの記録が破られることはないでしょう。
金栗さんのゴール後のコメントは、「長い道のりでした。この間に孫が5人できました。」
(写真出典 熊本県和水町HPより)