昭和の初期3
- 公開日
- 2010/03/04
- 更新日
- 2010/03/03
春小 学校の様子
◆私は、昭和18年の入学でした。当時、教室が兵舎として使われたり、運動場にテントが張ってあったり、馬がつないであったりして、遊ぶこともできませんでした。
そのほか、田植えの手伝いをしました。秋の刈入れの頃は、農繁休暇があり、家の手伝いをするなどよく働いたものでした。
◆戦争の激しいころの私たちは、防空ずきんを持って鷹来工廠へ行き、鉄砲玉の選別をしました。
学校生活で楽しかった思い出としては学芸会があります。学芸会の舞台は机を並べて作りました。また、遊びの多くは戦争ごっこで、田のわらを倒すことが遊びでした。
◆当時は、名古屋などから学童疎開があり、児童数が急激に増加しました。昭和18年には、高等科が併設されました。高等科の1・2年生は、午前7時から午後6時まで勝川の毛糸工場で、小銃造りを1か月ぐらいやりました。仕事は苦しかったですが、工場への往復には、なすやきゅうりを食べることができ、楽しみでした。
当時の女子の服装は、モンペをはき、でんちを着て、脚に巻脚伴をし、ぞうりをはいておりました。その姿で教練も受けました。
◆私が入学した時の学校名は、春日井国民学校でした。ちょうど1年生の時、運動場に馬がつないでありました。その馬に蹴られましたが、幸い大けがをしないですみました。
夏休みには、1年生でも桑刈りをさせられました。2年生のとき、担任の先生の家が空襲で焼け、悲しそうでしたので、友だちと相談してお米などを持ち寄り差し上げました。その時、先生は大変喜ばれました。