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- 公開日
- 2009/06/26
- 更新日
- 2009/06/21
春小 学校の様子
この当時の農業は、地主が3割、小作3割5分、自作3割5分でした。開墾地という土地柄、相互扶助しなければ食べていけませんでした。雨乞いやお祭りなどは、お宮を中心に、上下の隔たりなく楽しく行っていました。
この地方の方言に「もやい」という言葉がありますが、田植えなどお互いに寄り合ってやろうという心理のもとに助け合い穏やかな村でした。
一年に一度の楽しみの遠足は、岩倉まで歩き、そこから電車で犬山へ行き、帰りは木津用水を犬山から石を運ぶ舟で帰ったそうです。
勉強は、石板・石筆を使っており、鉛筆を使うようになったのは、大正2年(97年ほど前)からです。
当時の男の子の遊びは、兵隊ごっこが多く、時には農道に穴をあけ、落ち葉や木片を燃やして炭をつくり、針金で作った網の上にさつまいもをのせて焼いて食べた事もあったそうです。