学校日記

<校長室の窓> 栃ノ心から学ぶ

公開日
2018/01/30
更新日
2018/01/31

勝川小学校

勝川小学校 高学年の皆さんへ

大相撲初場所は、ジョージア(旧グルジア)出身で、
前頭3枚目の栃ノ心(春日野部屋)が優勝しました。
2006年春場所の「初土俵」から12年間かけて手にした優勝でした。

栃ノ心は、腕力を生かした右四つ(みぎよつ)が得意で、
初土俵から所要13場所で順調に「幕内」に昇進しましたが、
2013年の名古屋場所の5日目に悪夢が彼を襲(おそ)いました。

右膝(みぎひざ)の靱帯(じんたい)を断裂する重傷を負ったのです。
怪力(かいりき)に任せた相撲を取り続けた代償(だいしょう)でした。

手術で入院した時、彼は、何度も「相撲をやめよう」と思ったそうです。
支えになったのは、春日野親方(かすがのおやかた)の励ましでした。
その親方の恩に報(むく)いるために、
栃ノ心は、まず下半身を鍛えようと、周囲が心配するほど、
何度も何度も四股(しこ)を踏み、砂浜を歩きました。
そして、他の人が寝ている時間も、コツコツと練習を続けました。

その努力が実って、彼は、どん底から這(は)い上がり、
30歳で、みごとに優勝したのです。
新入幕から58場所での初優勝は、史上4位の遅さだそうです。
17歳で故郷のジョージアから1人で日本に来て、
苦労に苦労を重ねた結果、「夢」を実現させたのです。


栃ノ心は、怪我(けが)を克服(こくふく)してから
「相撲が速くなった」と評論家は、評価をしています。
八角理事長も、「自分の相撲を確立し、来場所もいい成績を残せば、
大関も十分に狙(ねら)える」と言っています。
師匠(ししょう)の春日野親方は、
「あいつのファイティングスピリットはすごい!」と語っています。

苦労の末に「大輪(たいりん)の花」を咲かせた怪力力士は、
さらに進化(しんか)する可能性を秘めているのです。

実は、栃ノ心には、
昨年11月に第1子(長女)のアナスタシアちゃんが生まれました。
しかし、稽古(けいこ)を優先した栃ノ心は、
母国に帰らず、相撲に専念したのです。
まだ、自分の子に会っていないのです。
いかに彼が「努力家」であるかを物語っています。

※彼の母国ジョージアの詳細は、ココをクリックしてください。

写真下段の写真は、勝川小学校の校長室に飾ってある栃ノ心の手形です。
昨年夏の名古屋場所の際に、
栃ノ心が、勝川小の隣の「八幡社」で練習している時にいただきました。
この色紙を見て、「自分も負けないように頑張ろう!」と、
いつも勇気をもらっています。