<校長室の窓> 被包感
- 公開日
- 2017/02/17
- 更新日
- 2017/02/19
勝川小学校
保護者の皆様へ
ある教育誌を読んでいましたら、興味深い文章に出会いましたので、
ご紹介いたします。
(以下引用)
なぜ、いじめに気付かなかったのか、
あるいは、自殺に至る程つらい思いをしている子どもの声が
なぜ聴けなかったのか、
もっと子どもへの感度をあげましょう!というようなことは、
よく言われることです。
しかし、感度を上げ過ぎると、
その「ピリピリ感」で、
子どもが、声を出しづらくなってしまうこともあります。
感度を上げることは大切なことですが、
今回は、被包感(包まれている感覚)という概念を紹介します。
これは、ドイツの哲学者ボルノーという人の言葉であり、
「自分の命が周りにいる他の誰かや何かに包まれ、支えられ、
つながっているという感覚」というように定義されます。
大人が、問題や違反がないかと、子どもを覗き込むのではなく、
子どもが被包感を感じられるような家庭・地域をつくっていくことが、
極めて大切であると考えています。
この被包感が重要だと思ったのは、
約20年前に、連続児童殺傷事件が起きた時です。
当時14歳の男の子が、
「透明な存在の僕」という言葉を使っていました。
また、その3年後、バスのハイジャック事件を起こして、
人を殺してしまった少年も、
「透明な存在だ」というように、同じ言葉を使っていました。
ここにいるのに、誰からも認知されない、
親や地域の人たちからも認知されないという思いを、
この「透明な存在」という言葉は表しているのではと思いました。
だからこそ、
自分がつながっているとか、存在しているというような被包感を
感じることができる場や環境をつくりあげていくことが、
子どもの成長にとって、最も重要だと考えるようになりました。
(引用終わり)
いかがですか。
子育ての参考にしていただければ、幸いです。
釈迦に説法を、お許しください。
※ボルノーの詳細は、ココをクリックしてください。