細井平洲のことば
- 公開日
- 2005/11/12
- 更新日
- 2005/11/12
南城中学校
最近読んだ書物の中でこんなことばが心に残りました。
惣て人を取育て申心持は、菊好きの菊を作り候様には致す間敷候儀にて百姓の菜大根を作り候様に致す可き事に御座候。菊好きの菊を作り候は花形見事に揃ひ候菊ばかりを咲かせ候。多き枝をもぎとり数多くのつぼみをつみすてのびたる勢ちぢめ、我好み通りに咲まじき花は花壇中一本も立たせ申さず候。百姓の菜大根を作り候は一本一本株も大切にいたし、一畑の中には上出来も有、へぼも有、大小不揃に候ても夫々に大事に育て候て、よきもわろきも食用に立て申す事に御座候。人才は一様には之れ無きものにて、一概に我持方の通りにのみ仕込み申す可しと存じ候なる片気にては、教えられし候人も堪え兼ね候ものに御座候。(細井平洲のことば)
(私が読み取った大まかな意味)
人を育てるには、菊好きが菊作りをする様にではなく農民が大根を作るようにするのがよい。菊好きは気に入った花だけを咲かせようとして枝やつぼみを取ったりして伸びようとする勢いを縮め、気に入らない菊は花壇の中に一本も立たせようとしない。農民が大根を育てる時は一本一本を大切にして、畑の中には上出来も不出来もあるが、不揃いでもそれぞれ大事に育てて全部食べられるように育て上げる。人の才能は同じではないのだから、一概に自分の思い通りに仕込もうというようなやり方では、教えられる方の人もたまったものではない。
(参考)
細井平洲は江戸時代中期の儒学者。出身は今の愛知県東海市。米沢藩主上杉鷹山に招かれて藩政改革を指導したことで有名。紹介したことばは「嚶鳴館遺草」という平洲の著書に出てきます。