学校日記

8月24日生まれ  瀧 廉太郎

公開日
2013/08/24
更新日
2013/08/24

お知らせ

 1879(明治12)年8月24日、作曲家の瀧廉太郎(たき れんたろう)が生まれました。内務省の役人だった父親の関係で、生まれて間もなく神奈川県、富山県、大分県と移り住みます。
 
 1894(明治27)年に15歳で東京音楽学校(今の東京芸術大学)に入学します。ここで廉太郎は作曲とピアノの才能をどんどん伸ばしていきました。

 1900年「花」、1901年「荒城の月」「箱根八里」などみなさんもよく知っている曲を次々と発表します。「お正月」や「鳩ぽっぽ」なども童謡も廉太郎が作曲しました。

 日本人の音楽家では2人目となるヨーロッパ留学をはたし、ドイツで勉強しますが、わずか2か月後に肺結核になってしまいます。今なら予防治療できる病気ですが、当時は死に至る病でした。1年で日本に帰国して大分県で療養していましたが、1903(明治36)年、23歳という短い生涯を閉じました。結核におかされていたため、死後多くの作品(楽譜)が焼却されてしまったそうです。

 今聴いても素晴らしい曲の数々。100年前の音楽環境を考えると、奇跡とも言える輝かしい業績だと思います。短い時間にギュッと力を注いだのでしょうね。

  (写真はウィキペディアからお借りしました)