学校日記

8月18日  豊臣秀吉が伏見城で亡くなる

公開日
2013/08/18
更新日
2013/08/18

お知らせ

 戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将で、天下を取りました。織田信長、徳川家康とならぶ三英傑の一人です。百姓から天下人へとのぼりつめた生涯は「戦国一の出世頭」と評されています。1598年8月18日、伏見城でその生涯を閉じました。62歳でした。



 <豊臣秀吉と家来の徳川家康との会話>

 秀吉
 「大坂城は、たとえ日本国中の兵が攻め寄せても、
  摂津一国の兵が立て籠もるなら、絶対に落とせない」

 家康
 「もし、太閤殿下がお攻めになったら、どうなるでしょうか」

 秀吉
 「われに大坂城を攻めさせたなら、安々と落とせるであろう。
  日本国中を従えることができる勢いがあれば
  いったんその兵で激しく攻めた後、和睦をするのじゃ。

  そしてすべての堀を埋めてしまえばよい。
  その後、再度大軍をもって攻めれば、落城は間違いない。」


 ※この後、江戸幕府を開いた家康は、秀吉の言葉通りに大坂城を攻め落としたのです。

 (画像は豊臣秀吉と大坂城  出典:ウィキペディアより)