名古屋鉄道小牧線
- 公開日
- 2009/11/13
- 更新日
- 2009/11/13
春小 学校の様子
犬山街道に沿って、名古屋と犬山間に鉄道を敷く計画は、明治25年の中央線の計画とともに起こりました。
中央線が、千種・勝川・高蔵寺と決めて測量が始まった際、小牧市(当時は小牧町)が主となって、枇杷島・小牧・内津・多治見間に変更するように請願しましたが、失敗に終わり、何とか私鉄を起こそうとしました。
それから40年以上の紆余曲折をへて、昭和6年2月11日、上飯田−小牧、味鋺−新勝川が開通し、ガソリンカーが運転されました。
上飯田−新小牧間が、昭和17年に、電化されました。当時、この地には、「春日井駅」と「春日井口駅」がありました。
先人の努力により開通しましたが、名古屋乗り入れが上飯田までで不便の上、運賃が高かったため、乗降客は少なく、30分ごとの運転が40分ごととなり、かえってバス利用者が増えたり、わらじ履きで歩く人が増す珍現象を呈するようになりました。
当時は、この線を大曽根線と呼んでいましたが、実際は上飯田までで市電との連絡も悪く、十分な利用に至りませんでした。
そして、味鋺−新勝川の勝川支線は、6年の命で昭和12年4月に廃止されました。
平成15年3月27日には、上飯田−味鋺間が地下化され名古屋市営地下鉄上飯田線と相互直通運転を開始しました。
(上)昭和40年代半ばごろの春日井駅の様子。
(下)「春日井口駅」の跡。昭和40年代半ばごろ撮影。