<校長室の窓> 羽生結弦選手から学ぶ
- 公開日
- 2018/02/20
- 更新日
- 2018/02/20
勝川小学校
勝川小学校 高学年の皆さんへ
平昌オリンピックの男子フィギュアで、
羽生結弦選手(23)が、66年ぶりの連覇を達成しました。
これは、冬季五輪1000個目の金メダルだそうです。
強い「痛み止め」で、ギリギリの調整をし、着氷が乱れても踏ん張った
「右足に感謝」した彼の雄姿は、世界中の人に感動を与えました。
中でも、被災地の方々の喜びは、ひときわ大きかったと聞きます。
羽生選手は、2011年3月11日、
地元仙台での練習中に、東日本大震災に遭いました。
スケート靴のまま、泣きながらはって、外に逃げたそうです。
羽生選手の自宅は半壊し、家族で「避難所暮らし」もしたそうです。
リンクが復旧するまでの4か月間は、スケートを続けるために、
60公演ものアイスショーに出演しながら、練習をしました。
「あれ以上に苦しいことも悲しいこともなかった」と彼は振り返ります。
しかし、彼は、そこでたくさんのあたたかい応援に触れました。
だから、彼のスケートはいつも、
周囲への感謝の気持ちが「源」になっています。
「宮城の誇りだ!」
彼が、再び世界の頂点に立った2月17日、
東日本大震災の被災地・宮城の人々は、
歓喜と感動と涙に包まれました。
けがを乗り越えてつかんだ2大会連続の金メダル。
「パワーをもらった!」と感謝の声が広がりました。
「よく踏ん張り、プレッシャーに勝ってくれた。」
「勇気をもらい、感動した。」
東日本大震災の津波で店舗が被災した石巻市双葉町の
飲食店「東京屋食堂」の店主渋谷明彦さん(57)は、
喜びをこう語りました。
2014年6月、再建した店を訪ねた羽生選手は、
石巻五目焼きそばを平らげ、
「とてもおいしかったです」と喜んだといいます。
渋谷さんは、「被災は大変ショックだったけれど、良いこともあった。
羽生君は私たちにパワーを与えてくれた。」と感謝を口にしました。
そして羽生選手も、演技後に被災地の方々に向けて、
「皆さんにまた笑顔になってもらえたらいいと思う」と語っています。
次の目標は、前人未到の「4回転アクセル」だそうです。
彼なら、きっとやってくれることでしょう。
読売新聞・報知スポーツ参照
(写真出典 Yahoo!画像)