学校日記

<校長室の窓> 葛西紀明選手から学ぶ

公開日
2016/09/20
更新日
2016/09/20

勝川小学校

昨日(9月19日)、刈谷市総合文化センターで、
スキージャンプ選手の葛西紀明選手の講演会があったので、
行って来ました。私が、ずっと楽しみにしていた講演会でした。
葛西選手は、とてもお話がお上手で、
90分間が「あっ」という間に感じました。

葛西選手は、北海道の下川町で生まれましたが、
お父さんは病気で働けず、お母さんが1人で朝昼晩と働いて、
借金をしながらやっと生活するというとても貧しい家でした。
さらに、妹さんは、再生不良性貧血という不治の病だったそうです。

葛西選手は、
「いつか、お母さんに家を建ててあげたい!」
「いつか、病院で療養している妹にメダルを見せてあげたい!」
という夢を持ち、言葉では言えないような努力を、
ひたすら続けたそうです。ハングリー精神です!

葛西選手は、16歳で日本代表として国際大会に出て、
一躍脚光を浴びました。
しかし、高校3年生の時に、大スランプに陥りました。
その時、お母さんから手紙が来て、
「つらい時こそ、人に優しくなれる」
「どん底からはい上がったとき、今まで以上に強くなれる」

と、励ましてくれたそうです。
(講演では、その手紙を読んでくださいました。)

葛西選手は、
1992年のアルベールビルオリンピックに19歳で出場し、
以後、リレハンメル・長野・ソルトレイクシティ・トリノ・
バンクーバー・ソチの冬季オリンピックに出場しました。
この7回の出場は、史上最多です。

「レジェンド(生ける伝説)」と呼ばれる葛西選手ですが、
とても苦しい時代があったそうです。
1994年・1995年に、2年連続でジャンプで転倒し、
左の鎖骨を骨折ました。同じところを骨折したのです。
それ以来、葛西選手は、
「また転ぶかもしれない…」という、強い恐怖心を持ちました。

その恐怖心とは、なんと10年間も闘ったそうです。
葛西選手は、「恐怖心は練習で取り除くしかない」と、
ひたすら頑張ったそうです。

1番悔しかったのは、祖国日本で開催された長野オリンピックの
団体戦に出られなかったことだそうです。
長野オリンピックでは、原田選手・船木選手などの活躍で、
団体は、「金メダル」だったのですが、その光景を見て、
悔しくて、泣きながら宿舎のホテルに帰ったそうです。
しかし、それが葛西選手にとって、
その後頑張る「バネ」になりました。

その後、所属していた「地崎(チザキ)工業」が、
不景気のあおりを受け、経営が苦しくなり、
スキー部が廃部となりました。
その次に所属した「マイカル」も、
スキー部が廃部になりました。
途方にくれていた時、葛西選手に声をかけてくれたのが、
現在の「土屋ホーム」でした。
葛西選手は、恩返しするには、
メダルを獲るしかないと練習を重ねたそうです。

ちょうどその頃、お母さんが火事のやけどで亡くなり、
妹さんも病院で亡くなりました。

悲しみの中で、葛西選手は、頑張り続け、
2014年ソチオリンピックの個人(ラージヒル)で、
見事、銀メダルを獲得しました。
当時41歳254日の葛西選手は、
冬季オリンピック最年長メダリストです!

講演会場で、その銀メダルをさわらせてくださいました。
私は、首にかけました。葛西選手の努力の重みを感じました。

団体でも銅メダルを獲得しました。
葛西選手以外の3人のうち、竹内選手は難病を患っていましたが、
薬を飲みながら、葛西選手をはじめとする仲間に励まされて、
頑張りぬいたそうです。

葛西選手の座右の銘は、「夢は、努力でかなえる」です。
葛西選手は、「ソチオリンピックが銀メダルでよかった」と、
言ってみえました。
「銀」は、分解すると「金」より「良い」と書くのです。
あそこで金メダルを獲っていたら引退していたと、
葛西選手は、言ってみえました。

次の平昌(46歳)では、
家族(奥様とお嬢様)の前で金メダルをとりたい!
そして、北京(50歳)。
札幌で開催されるなら、56歳まで頑張りたい!
そして、子どもたちに「夢」や「希望」を与え続けたい。
そう言ってみえました。
(ちなみに56歳というのは、私の歳です。)

本当に、すごい人だなと思いました。
葛西選手の講演に感動した私は、
どうしても、どうしても、葛西選手にお会いしたくて、
係員の方にお願いして、
講演後の葛西選手の楽屋の前まで行きました。

葛西選手は、笑顔で私を迎え入れてくださいました。
そして、色紙にサインをしてくださいました。
握手もしてくださいました。とても温かい手でした。
一緒に写真も撮りました。
私は、葛西選手の講演の内容を、
自分が勤める学校(勝川小学校)の子ども達に、
必ず伝えます!と、約束しました。
葛西選手は、「よろしくお願いします!」と、
笑顔で答えてくださいました。

56歳になった私でも、実は「夢」があります。
私は、葛西選手の言葉「夢は、努力でかなえる」を胸に、
頑張っていこう!と思いました。
                  校長 堤 泰喜

※葛西選手の詳細は、ココをクリックしてください。