学校日記

<校長室の窓> すごい女性

公開日
2016/09/06
更新日
2016/09/06

勝川小学校

勝川小学校 高学年の皆さんへ

ある雑誌を読んでいたら、すごい女性のことが書かれていましたので、
紹介したいと思います。

その少女の足に突然の激痛が走ったのは、3歳の時である。
病院での診断は突発性脱疽(とっぱつせいだっそ)。
肉が焼け、骨が腐る難病で、切断しないと命が危ないという。

診断通りだった。
それから、間もなく、少女の左手が5本の指をつけたまま、
手首からボロっともげ落ちた。

悲観の底で、両親は手術を決意する。
少女は、両腕を肘(ひじ)の関節から、
両足を膝(ひざ)の関節から切り落とされた。
少女は達磨(だるま)娘と言われるようになった。

少女が5歳の時に父が死亡。
そして9歳になった頃、
それまで少女を舐(な)めるように可愛(かわい)がっていた母が、
一変する。
猛烈な訓練を始めるのだ。

手足のない少女に着物を与え、
「ほどいてみよ」
「鋏(はさみ)の使い方を考えよ」
「針に糸を通してみよ」
できないと、ご飯を食べさせてもらえない。
少女は必死だった。
小刀(こがたな)を口にくわえて鉛筆を削(けず)る。
口で字を書く。
歯と唇を動かし、肘(ひじ)から先がない腕に挟んだ針に糸を通す。
その糸をクルっと回し、玉結びにする。
文字通りの血が滲(にじ)む努力。
それができるようになったのは、12歳の終わり頃だった。

ある時、近所の幼(おさな)友達に人形の着物を縫(ぬ)ってやった。
その着物は唾(つば)でベトベトだった。
それでも幼友達は大喜びだったが、
その母親は「汚い!」と、川に放り捨てた。

それを聞いた少女は、
「いつかは濡れていない着物を縫(ぬ)ってみせる」と奮い立った。
少女が濡れていない単衣(ひとえぎぬ)1枚を仕立て上げたのは、
15歳の時であった。

この一念が、その後の少女の人生を拓く基になったのである。

その人の名は、中村久子。
後年、彼女はこう述べている。
「両手を切り落とされたこの体こそが、
人間としてどう生きるかを教えてくれた最高最大の先生であった。」
そして、こう断言する。
「人生に絶望はない。いかなる人生にも決して絶望はない。」

                     月刊誌『到知』より

いかがですか。
私たちは、どうしても「足りない」ことに意識が行きがちです。
そうすると、不平や不満を呼び起こし、
自分で自分を苦しませることになります。
もし、「足りていること」に少しでも早く気が付くことができたら、
私たちの毎日は変わってくるように思います。

そして、「生きていることは素晴らしい」と、
思えるのではないでしょうか。
                      校長 堤 泰喜

※中村久子さんの詳細は、ココをクリックしてください。
 ちなみに、あのヘレン・ケラーが、
 中村久子さんを、「私より不幸な人、私より偉大な人」と
 賞賛したことは、有名なお話です。