学校日記

<校長室の窓> 「愛語」と「ならぬことはならぬもの」

公開日
2016/06/08
更新日
2016/06/08

勝川小学校

保護者の皆様へ

北海道七飯町で、一時行方不明になった
小学2年生の田野岡大和君が、
昨日、函館市の病院を退院しました。
本当に良かったと思います。

この件では、「親のしつけ」の在り方が、問題となりました。
多くの外国のマスコミもとりあげました。
とりわけ、アメリカのあるメディアは、「児童虐待」と報道しました。

国内でも、北海道で小2の大和君が置き去りにされた今回のケースは、
親の「行き過ぎた」しつけだったという声が多く、
両親は、インターネットなどで非難にさらされ、
過剰な社会的制裁を受けています。

「お父さん優しいから許すよ」という大和君の言葉が、
「救い」です。

今回のことで、しつけについて、私は考えさせられました。
確かに、命にかかわるような指導は、絶対にあってはなりません。
では、どうしたら、子どもをうまくしつけられるのでしょう。

私が尊敬する毛涯章平先生の著書『肩車にのって』に、
次のような言葉があります。

ほめることばも、叱ることばも真の「愛語」であれ。
愛語は、必ず子どもの心にしみる。 
※「愛語」…相手の身を思いやって語ることば


感情的に子どもを怒るのではなく、
「何がどういけないのか」を、「子どもにわかる言葉」で、
しかも、親が全身全霊を傾け、すべての愛情を注ぎながら、叱る!
そうすれば、子どもは、必ずわかるはずだという考え方です。

その一方で、こういう考え方もあります。
私は、これもまた「真実」だと思います。

数年前、NHKの大河ドラマ「八重の桜」が放映されたとき、
次の言葉が、大きく取り沙汰されました。
「ならぬことはならぬものです」という言葉です。

この言葉は、会津藩の子ども達が習う
「什(じゅう)の掟(おきて)」の一つです。
「いじめはいけない」「うそをついてはいけない」など、
当たり前のことでも、
子どもが学校の教師や大人に「なぜ?」と理由を尋ねると、
明確に説明できず、大人が答えに詰まることがあります。
そんな時、言い逃れではなく、「ならぬことはならぬ」と、
簡潔に、「自信を持って」答えるべきという考え方です。

参考までに、「什の掟」を、ご紹介します。
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです


今の時代に、そぐわないものも確かにあります。
しかし、「ならぬことはならぬもの」という“理屈ではない強い教え”は、
人間教育の「不易」の部分でもあるのではないでしょうか。

「しつけ」というのは、
人格形成においては(特に幼児期・少年期)、極めて大切だと思います。

「愛語」と「ならぬことはならぬもの」
この二つは、相反するように思えますが、
私は、どちらも大切だと思っています。
 
「釈迦に説法」をお許しください。       校長 堤 泰喜

(写真出典 Yahoo!画像)