原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい
- 公開日
- 2013/03/01
- 更新日
- 2013/03/01
学校の窓
1954年3月1日、アメリカが、ビキニ環礁で水爆実験を行いました。
そして、爆心地から150キロメートル離れた場所で操業していた
日本のまぐろ漁船「第五福竜丸」が、死の灰を浴び、
無線長の久保山愛吉さんが亡くなるなどの放射線被害を受けました。
「原水爆による犠牲者は、私で最後にし て欲しい」
これは、久保山さんが亡くなるときの最後の言葉です。
(下の写真が第五福竜丸です)