集会校長講話
- 公開日
- 2013/02/25
- 更新日
- 2013/02/25
今日の石尾台中
今日は、石尾台中校区、
つまり皆さんの“ふるさと”について考えてみたいと思います。
春日井市には15校の中学校がありますが、
この石尾台中校区にしかないものが、2つあります。
写真を見てください。
まずは水力発電所です。中部電力「玉野水力発電所」。
名古屋市という大都会に、こんなに近い所にあり、
しかも“クリーン”なエネルギーということで、
近年、大変脚光を浴びています。
写真は「導水路と貯水槽」「タービン」「発電機」「配電盤」です。
現在は、すべてコンピュータ化されており、無人化されています。
約830世帯が1年間に使う電力を、1年間で発電しています。
2つ目は、航空自衛隊です。
正確には「航空自衛隊高蔵寺分屯基地」です。
主に、物資の補給を行っています。広さはナゴヤドームの36倍。
隊員の中には、海外に派遣されている人もいるそうです。
また、東日本大震災の時には、基地の大半の人が派遣され、
「捜索救助」「給水支援」「輸送支援」にあたり、大活躍をされました。
先生は、基地の一番上、
標高194メートルの高座山の山頂に案内していただきました。
写真は、山頂から見た玉野台・押沢台・石尾台・玉川小校区です。
名古屋の高層ビルも見えました。
さて、この山の名前がわかりますか。先生は、この山が大好きです。
何とかこの山の名前を知りたいと、たずねまわりました。
そして、ついにわかったのです!
この山を、地元の人は「隠山(かくれやま)」と呼んでいるそうです。
標高は294m、この高さは地形図で調べました。
では、なぜ、隠山というのでしょう。
これも調べてみました。
この山は、森が深くて、
一度迷い込んだらなかなか出てこられないことから、こう呼ばれて、
昔は、子どもや老人は行かないように戒められていたといいます。
この山の名前がわかりますか。この山は「才蔵山」と言います。
標高344mです。
山肌が削られているので、可愛そうな山ですが、
この山のおかげで、
名古屋からでも、「石尾台中学校はあのあたりだな」とわかります。
この山の名前は知っていますよね。そう、校歌にも出てくる道樹山です。
標高429m。弥勒山に次いで、春日井市で2番目に高い山ですね。
さて、皆さん、本校の名前は「石尾台中学校」というのですが、
この「石尾台」という名前の由来は、どこからきているのでしょう。
「古生層の岩石がゴツゴツ出ている山の尾根」ということから、
「石尾台」という名がついたという説が有力だったのですが、
どうも別の説もあるらしいのです。
先生は、郷土史研究会の村中治彦さんから、別の説を聞いてきました。
昔、ここは、「いせう」と言われていました。
この「いせう」が「いしお」になったというのです。
「いせう」とは漢字で書くと「石生」。
つまり、石が生まれるところという意味です。
江戸時代、この地に水田を開こうとしたところ、石がごろごろ出てきました。
だから、「石が生まれたところ」「石生(いせう)」と名付けられたのです。
これが、「いしお」の名前の由来のもう一つの説なのです。
「嘘だ!」と思う人もいるかもしれません。
ですから先生は、証拠になるものはないかと、
江戸時代の古地図を探しました。あったのです!
これが、その古地図です。拡大しますね。
「大いせう御本田」と書いてあるがわかりますか。
現代版に直したこちらの地図なら、はっきりと字が読み取れるはずです。
玉川小の「玉川」。
これは、庄内川が、この辺りでは「玉の川」と呼ばれたことから由来します。
昔は、川の流れが透き通るようにきれいで、
川床の石が玉のように見えたことから名づけられました。
押沢台の名前は、昔、山から大水が出た時に、
「沢」つまり「水のたまったところ」ができたことから名づけられました。
さて、この石尾台中地区は、時代と共に変遷を重ねてきました。
今から、秘蔵写真をお見せしますね。
これが、1966年、先生が6歳の時の石尾台中校区の写真です。
これは、1971年。だいぶ切り開かれましたね。
これが、その5年後の1976年の写真。道路もどんどんつくられました。
これが、1981年。家がどんどん増えています。
でも、まだ石尾台中学校はありません。
これが、1986年です。石尾台中学校ができていますね。
でも玉野台はありません。
これが、1988年です。このころ、ほぼ、現在の形が整ってきたのです。
この建物を見たことがありますか。
「郷蔵」といって、明治時代に米を蓄えるために建てられました。
玉川小学校の近くにあります。市の文化財に指定されています。
さて、この石尾台中学校の良さは、何と言っても、人の「あたたかさ」です。
石尾台地区社会福祉協議会・押沢台コミュニティネットワーク等の組織があり、
この街を、地域住民の手で、
よりよい地域にしていこうという取組がなされています。
この地域で、皆さんは育ってきました。
ここは、皆さんの「ふるさと」です。
みなさんは、『ふるさと』という歌を知っていますね。
先生はこの歌の中のこの歌詞が大好きです。(歌う)
「志を果たして いつの日にか帰らん
山は青きふるさと 水は清きふるさと」
皆さんの中には、これから東京や大阪など、日本全国で活躍をしたり、
アメリカや中国など、世界にはばたく人もいるでしょう。
でも、皆さんのふるさとは、やはり、この「石尾台」です。
先生も、この「石尾台」が大好きです。
先生のふるさとは「名古屋」ですが、
石尾台が「第二のふるさと」だと思えるように、
これからも石中を愛し続けます。
皆さんの力で、これからも、
この石尾台中学校と石尾台中校区を素晴らしいものにしていきましょう!
お話、終わります。
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