人権週間の話
- 公開日
- 2011/12/07
- 更新日
- 2011/12/07
今日の石尾台中
12月7日(水)、帰りのSTの時間に全校放送を利用して、人権週間にちなんで次のように話をしました。
「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう。
そうして、あとでさみしくなって、
「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、いいえ、誰でも。
みなさんも聞いたことがあると思いますが、3月に東日本大震災が起きてから、何度となくテレビで放送されていた『こだまでしょうか?』という詩です。この詩は、1903年、山口県に生まれた女性詩人、金子みすゞの作品です。金子みすゞは、大正から昭和の初めに彗星のように現れ、5年間で90編ほどの童謡を発表して、1930年、26才の若さでこの世を去りました。あまりに早く亡くなったので、彼女が作ったその他の詩は見つからず、幻の童謡詩人といわれていました。しかし、第2次大戦後「日本童謡集」という本に「大漁」という金子みすゞの詩が掲載され、それが童謡詩人の矢崎節夫(やざきせつお)さんの目に偶然とまりました。
『大漁』
朝焼け小焼だ 大漁だ
大羽鰯(おおばいわし)の 大漁だ。
浜は祭りの ようだけど
海のなかでは 何万の
鰯(いわし)のとむらい するだろう
大漁を喜ぶ人々でにぎわう浜辺を見つめながら、その一方で、海の魚たちの悲しみを見つめ、食べる人間も食べられる魚も、同じいのちだと歌っている詩です。そこには、人間中心の考え方ではなく、もっと深い優しさがあるように感じます。この詩を読んだ矢崎さんは、金子みすゞという人とその作品に引きつけられ、16年間にわたって金子みすゞの作品を探し続けました。そして、手書きの童謡集3冊を見つけ、500を超える詩を世に発表しました。
金子みすゞの作品は、小さなもの、力の弱いものなどに、深く優しいまなざしを投げかけているものばかりです。代表作のひとつといわれる『私と小鳥と鈴と』という詩を最後に紹介します。
『私と小鳥と鈴と』
わたしが両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)を速くは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴はわたしのように
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
この「私と小鳥と鈴と」という詩は、この世に存在する命ある全てのものが、それぞれ違うからこそ、すばらしいと言っています。人間も、みんな顔つきや、体格、声が違い、その人にしかない個性や性格を持ち合わせています。一人ひとりが違うからこそ、素敵なのです。自分と違うことで、その人を攻撃するのではなく、違いを認め合うことが大切なのです。