愛知県の近代化遺産 『 城嶺橋(しろがねばし) 』
- 公開日
- 2011/08/17
- 更新日
- 2011/08/17
学校の窓
夏休みも後半を迎え、残り2週間となりました。部活動や課題、進路選択のための学習等に力を注いでいると思いますが、長編の読書や博物館・資料館の見学等、日頃できないことに取り組むにも夏休みは最適です。以前お伝えした校区内の近代化遺産について、今回は、定光寺駅前の『城嶺橋(しろがねばし)』を紹介します。
定光寺は玉野川(庄内川)の景勝地であり、かつては名古屋の奥座敷と呼ばれていました。大正13年(1924年)には、中央線の玉野信号所が定光寺駅になり、玉野川渓谷には、名古屋から大勢の観光客が訪れるようになり、駅の周辺には料理旅館や土産物屋が次々と建てられました。中央線定光寺駅前に架かる城嶺橋は、庄内川に架かるアーチ橋群として、下流の鹿乗橋とともに愛知県の近代化遺産に指定されています。現在のコンクリート橋は3代目で、初代は、名古屋開府300周年を記念して明治43年(1910年)に完成した木製の橋でしたが、翌年の大水で流失してしまい、大正元年(1912年)に吊り橋として復旧しました。昭和12年(1937年)に、当時の京都四条大橋を模して3連のコンクリートアーチ橋が架けられて現在に至っています。橋のたもとにある親柱には、定光寺にゆかりのある尾張徳川家19代義親氏揮毫による「城嶺橋」の銘が刻まれています。定光寺の山中に名古屋城が見える峰があったことから、城嶺橋と命名されたといわれています。大正期の水平線、垂直線を強調する「セセッション」風デザインであった「まぼろしの四条大橋」の面影を城嶺橋がとどめていることが貴重だそうです。愛岐道路側から河原に下りられる階段があるので、川面から橋の下を眺めてみると構造がよくわかります。
<参考:平成17年愛知県教育委員会 愛知県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書>