脚下照顧(きゃっかしょうこ)
- 公開日
- 2014/02/28
- 更新日
- 2014/02/28
今日の石尾台中
お寺の玄関や手洗いなどで「脚下照顧」「照顧脚下」「看脚下」
などの文字を見かけたことがあると思います。
禅系統で好んで使われる言葉です。
いずれも「足下を見なさい」から転じて「履き物をそろえましょう」と
標語的に使われています。
しかし、真意はもっと深いところにあります。
脚下とは自分の足下。
自分の足下を顧みるとは「我が身」や「我が心」を振り返れ、
自分が今どうゆう立場にいるか、
よく見極めて事に当たれと言うことです。
私たちは日々次から次へと様々なことに流されて、
自分のことを静かに見つめる機会があまりありません。
「灯台もと暗し」と言うように、
他人のことはよく分かりますが、
自分のことは分かりにくいものです。
他人の批判はできても、自分の批判はなかなかできません。
他人のことを論ずるより、まず自分を見つめなくてはいけません。
理想を高く持つならば、より足下をおろそかにしてはいけません。
環境の整ったところだけが修行の場所ではありません。
日常生活も修行の一部です。
どんなに忙しいときでも、
履物をそろえて脱ぐくらい、心のゆとりが欲しいものです。
心にゆとりが出来れば自分自身の姿もよく見えてくるでしょう。
自分の履物をそろえることは、そのまま自分の心の整理整頓となります。
自分で履物をきちんとそろえて脱げるようになったら、
他人の履物の乱れも直しましょう。
履物をそろえて脱ぎましょう。心が落ちつきます。
履物が乱れていたら、そっとそろえておきましょう。
みんなの心が落ちつきます。
靴下も脱ぎ捨てないで下さいね。
玄関を見れば、その家のレベルや生活態度が良く分かるといいます。
玄関は家の顔です。履き物が綺麗にそろっている家は、
家族みんなの心がそろっているからでしょう。