学校日記

年の初めに……世阿弥が求めた「花」

公開日
2006/01/11
更新日
2006/01/11

南城中学校

 三学期の始業式で「初心忘るべからず」という話をしようと思って、世阿弥の「風姿花伝」と「花鏡」を読み返しました。(結局この話はしませんでしたが……)
 「風姿花伝」は世阿弥が父観阿弥から聞いたことをまとめたもの、「花鏡」は世阿弥自身の能に対する考えを述べたものです。「…花伝」「花鏡」と、ともに「花」という語があります。どうやら、この「花」というのが世阿弥が求めている価値のように思われます。では、「花」とはいったい何なのか。「風姿花伝」にこんな一節があります。

 ……時分の花、声の花、幽玄の花、かやうの条々は、人の目にも見えたれども、その態より出で来る花なれば、咲く花のごとくなれば、またやがて散る時分あり。(中略)まことの花は、咲く道理も、散る道理も、心のままなるべし。されば久しかるべし。(中略)花を知らんと思はば、まづ種を知るべし。花は心、種は態なるべし。古人云はく、
 心地に諸々の種を含み(心地含諸種)
 あまねき雨に悉く皆萌す(普雨悉皆萌)
 とみに花のこころを悟りおわれば(頓悟花情已)
 菩提の果おのずから成る(菩提果自成)
【大意】
 ……年齢的な花、美声の花、可愛らしさの花などのたぐいは、人の目にもすぐ分かり、それなりの効果はあるが、役者の身体的好条件から生まれる花であるので、草木の花が咲くようなもので、またすぐに散るときがやってくる。(中略)真実の花は、咲かせるのも散らすのも役者の思いのままになるはずだ。したがって永遠のものである。(中略)花を知ろうと思うのなら、それ以前に種を知らなければならない。花は心に関連し、種は能の技術の数々である。古人も次のように言っている。
  人の心には仏性という種が含まれている。
  それがあまねく降る雨のような仏法の恵みを受けて芽を出し
  花開く その道理を理解しさえすれば
  悟りという果実が自然に生じるだろう

 世阿弥が求めた「花」という語を、あなたの求める価値、あなたが教員なら例えば「教師の力量」「子どもからの支持」という語に置き換えて読むと、けっこう話が通じると思いませんか。
 「花鏡」にはこんな言葉もあります。
……当流に万能一徳の一句あり。「初心忘るべからず」。この句、三条の口伝あり。
  是非の初心忘るべからず。
  時々の初心忘るべからず。
  老後の初心忘るべからず。
 この三つ、よくよく口伝すべし。

※古文と大意は日本古典文学全集「連歌論集 能楽論集 俳論集」中の「風姿花伝」「花鏡」を参考にしました。