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春日井の民話シリーズ



尻冷やし地蔵

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  国道19号線 春日井市の潮見坂をのぼり切ったあたり、大泉寺町のわき道に、尻冷やし地蔵様がまつられています。

 

 
 

 「尻冷やし地蔵」・・・・何だか変わった名前ですね。

 どうして、こんな名前がついたのでしよう。

 また、なぜ、ここにお地蔵様がまつられているのでしょうか。

 実は このお地蔵様には、こんな話が伝わっているのです。

 

 




 昔、この辺で、どえらゃあ戦いがあってなも。誰と誰がやったかは知らんがあっちが勝ったか思えば、こんどがゃし、こっちが勝つ。勝ったり負けたり、きりがなかったげなわ。

 





 

 ほんだもんだで、ここらの村の衆は、ほのたんびに、あっちいにげ、こっちいにげ、ほりゃまあ難儀してなも。

 「ええかげんに おわらんかしらん」そうおもっとりゃしたげなわ。

 

 


 ほりゃ ほうだわな。

  田んぼや畑の仕事しちょってもじっきそばで戦いが始まりゃ、鉄砲玉や矢が飛んでくるで何もかもぶっちょって逃げださんなんでなも。






 ほんだけなら、まだえぇけど、負けた方が逃げるついでに、押し込んで来て、米や麦をさらってってまう。

 勝った方が来て娘に悪さする。・・・・戦いいうもんは、昔も今も、人を獣にしてしまうでなも。

 



 

 さて、ほの戦いが始まって半年目の夏は、どえりゃあ日照りでが続いて、ひび割れがいっぱゃあ出来るぐらゃあ暑かった。

 ほの暑さのなかのさゃあ中の戦いだで、みんな喉はかれかれで唾も出えせん。


  



  ほんでも、まんだ戦いがつづいちょった。

 「水をくれえ。・・・・水・・・・水・・・・」

 手傷を受けて逃げてきたおさむりゃあさんが、次から次に倒れては「水・・・・水・・・・」言いながら死んでかした。

 



 村の衆も、ああ気の毒になあ思やあしたが、いつなんどき鉄砲玉が飛んでくるか分かれせんで、助けに行きたても行けんの。

 

 

 


 

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 ほんで、「まあちょこっと行ったところに湧水があるにどうぞかして教えちゃること出来んかしらん。」言いながらかくれて見ちょらした。

 

 

 

 

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 ほうしちょったら、一人のおさむりゃあさんが、よろよろしながら、 湧水のほうに歩いてった。

 「ああ よかった。あんばよう水がのめるとええが・・」

 

 

 

 

 


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 どうぞかして教えてやりたゃあ思っても、ほんなことしたら、こっちが殺されてまうで、黙しかって見ちょるほかなゃあわなも。

 

 

 

 

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 ほのうちに、やっと湧水に気がつぃたおさむりゃあさんが杖にしとった槍、ほうりだゃあて、がばっと伏せると、腹這ゃあになって水を飲もうした。

 ほの時・・・・・

 

  

 

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 ぐさっ。・・・後ろから、ぼって来た敵方のおさむりゃあの槍が胴中つきさゃあた。

 「うわぁー 」

 

 

 

  

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 「み・・・・ず・・・・」 

 ほんだけ言っただけで、喉、かれかれのまんま死んでまった。

 一口も飲まんと。・・・・・・・

 
 

   

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 「みちょっても、なんも できせなだ。」

 「どうぞかして、たすけてやることはできなんだか。」

 「かわゃあそうになあ。せめて、ひとすすりでもええで飲ませたかったなも。」

 


 

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 ほう思ゃあた村の衆が、水を飲まずに死んでいったおさむりゃあさまを弔うために、湧水のふちにお地蔵様をたててやらあした。

 

 


 

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 ところが、たてたところが湧水のふちだもんだでおまゃあさま。お地蔵様の腰から下が、しいじゅう濡れてござる。

 ほんで、「尻冷やし地蔵」いうようになったんだわなも。

 

 

 

 


 

 

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 水を一口でもいいから飲ませてやりてかったと言う村人の願いが今日まで伝わっているのでしょう。

 国道沿いの道に、お堂を立てて尻冷やし地蔵様をお祀りしています。

 

 


 

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 8月の地蔵盆のときに、お堂の脇につくられた土俵で、子供相撲大会がひらかれます。

 これは、子どもから大人までが楽しめる行事の1つになっています。

 

 

 

 

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 尻冷やし地蔵様も きっと、この様子をご覧になっていらっしゃることでしょう。

   

     


 
 

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 この作品は、本校の鈴木新一教諭が中心になって、「春日井市視聴覚研究会・民話作成部会」が作成したものです。

 制作スタッフ   鈴木 新一
           富中 昭智
           中田   賢
           鈴木 和弘

             (1992年制作)

〔 この作品は、1993年度の全国自作視聴覚教材コンクール郷土学習教材の部で優秀賞を受賞しました。〕







尻冷やし地蔵(大泉寺町)
  

 「尻冷やし地蔵」

 

尻冷やし地蔵

 国道19号と県道内津ー勝川線に挟まれた旧道(江戸時代の下街道)の潮見坂(大泉寺町)を上り詰めたところに、尻冷やし地蔵がある。高さ1、5メートル余の花崗岩に浮彫された地蔵で、台石の下からこんこんと湧き出た清水が尻をぬらしていることから、「尻冷やし地蔵」といわれるようになった。 石像の左右に「為松柏永寿禅定門也」、「正保四丁亥霜月廿日」の刻銘がある。建立のいわれは、昔一人の武士が渇きをいやそうと清水を飲んでいたところを、後ろから敵に切られて死んだので、その霊を慰めるために建てられたという言い伝えがあるが定かではない。

 旧道は、明治33年(1900)に中央線の名古屋ー多治見間が開通するまでは中山道の下街道として旅人の通行も多く、坂を上り詰めた旅人達はこんこんと湧き出る清水でしばし旅の疲れをいやしたことだろう。しかし、残念なことにこの湧き水は付近の山地の開発で水源をたたれたので、今は上水道の水で代用している。
旧街道の面影を残す道路(内津峠付近)

 戦前は、霊験あらたかで万病に効き、願いごとがかなえられるといわれ、参詣する信者で賑わった。うら盆の二十四日には隣の広場に土俵が作られ、子ども相撲が奉納された。地蔵様は子どもが好きだといわれることから始まったようで、近在の子ども達の楽しみの一つである。戦後しばらく中断していたこの行事も復活して、今も盛大に行われている。  

        (春日井市、大泉寺町)

 


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