前へ 目次へ 次へ  


春日井の民話シリーズ

第4話

は っ ぴ ゃ く び く に
八百比丘尼

1

  JR中央線の高蔵寺駅からバスで3つ目、円福寺前で降りると、円福寺というお寺があります。

 

 
 




 高蔵寺ニュータウンができるまでは、この辺りはお寺の近くまで山が迫っていて、大変静かな所でした。

 







 今ではお寺の周りに家が建ち、昔の面影を残すものといえば、お寺の裏に残っているわずかな森だけになってしまいました。

 







 

 その裏山の参道にひっそりと小さなやしろがたっています。このやしろには、「八百比丘尼」が祀られています。
 そして、こんな話が伝わっています。

 







高蔵寺の白山に、円福寺というお寺が、ごじゃますがなも。
 昔昔の大昔にはなも、ほの寺の、じっきそばまで海がきちょりましたそうな。









 「おぇーい。めずらしい魚が獲れたぞう。みんなみにこぇー」
 ほんで、みんなが見に来ましたらなも。

 









 

顔が人間の顔で、ほのほかは、みんな魚の形した、おおかしげな魚。









  

 ・・・みんな気しょく悪なって
「こんなもの、海へぶっちゃつたれ、ぶっちゃったれ」

 ・・・・ほう言っとったらなも









 どこの人か知らんが、旅の人が通りかからゃあて、
「これは、人魚とゆう魚だがゃぁ。この魚そなえて、庚神さままつったら、どえらゃええことが、あるぜえも。」 

 ・・・ほう言やぁたと。

 

 


 

10

 ほんなら、ほうしよ、まゃぁ、ゆうことになりましてなも。ほの旅人に、お頼もして、庚申さまのお祭り、やらゃぁたげなわ、人魚そなえて。

 

 

 


 

11

 供えたはええが、気しょくが悪ぃで、お祭り済んでも、お供え、いただゃぁてく人、一人もあらへんわなも。

 

 




 

12

 ところが、丁度ほこに、乳母につれられた小娘が、遊びに来とりましてなも、だあれも知らんうちに、ほの、お供えの人魚の肉、ちょこっとつまんでたべてしまった。
・・・・・

 

 

 

 

13

 

 ・・・・ほれから17年。娘は、この世のものとは思えんぐらゃぁ、うつくしなってなも。

 

  

 





14

 村の若ゃぁもんは、のぼせるやら、ため息つくやら、まあ大騒ぎ。・・・
 いったゃぁ、誰が、あの娘の婿さんになるしらん。・・・
ほのことで、持ちきっちょったそうなわなも。

 

 


   

15

 ところが、2年3年たつうちに、みんなが、こうびん、かしげだゃぁた。
「あの娘、ちょつとも年取れせんがや。どうなっとる。・・・」

 
 






   

16

 ほんで、4年5年たつうちに、みんなが、気しょく悪がるようになってしまつてなも、嫁にくれ言う者も、婿になろう者も、村には1人もあれせん。

 






 

17

 ほで、仕方がにゃぁで、遠ぇぅ村から、婿さ、もらってなも。・・・・
 ほりゃ、はじめは、ええわなも婿さんも、うっつくしいし、わきゃあし・・・・なも?

 

 



 

18

 ほんだけど、しまゃぁには分かるわなも、人の口から
「おまゃぁさん、自分の嫁御の年、いくつだ知っとりゃぁすか。」

「はたち、言っとるけどなも。」
「とろくさゃこと言っとらゃぁすな。うちの婆さと、うんなし年の、87だがや。」

 
 

  

19

 ・・・・・・・・・「は・・・87?」

 

 






 

20

 びっくりこぇぅて、にげだす者もおれば、年みたゃぁ、どうでもええ、身体さゃぁ若けりや、とこなゃぁがや、言う者も、おったげなどなも。

 

 

 


 

21

 200年、300年とたつうちに、亭主に持った男は、つぎつぎ・つぎつぎ、みんな死んでってまった。
・・・・ほんでも、自分は17のまんま。

   

     


  

22

 500年、600年とたつうちに、海じゃった所も、だんだん、だんだん干あがってしまって、畑になったり田んぼになったり。
・・・・ほんでもまんだ、17のまんま










23

  ・・親も、亭主も、知りあゃぁも、だあれも、おれせん。
・・・・眼に見る景色も、変わってまった。
・・・・生きとるかゃぁが、なゃぁわなも、まあ、ほうなっては。・・・









24
 ほんで、とうとう、頭まるめて尼さんにならゃぁてなも、諸国巡礼の旅に出やぁた。












25

 何処を、どう辿らゃぁたかぞんじませんけどなも、八百才にならゃぁたときに、若狭の国に、辿り着かゃぁたそうな。










26
 ほうして、だあれにも合わんように、ふかゃぁあ深ゃぁ洞穴の中に、はゃぁてつて、ほのまんま二度と出てござらなんだと。











27
 この作品は、本校の鈴木新一教諭が中心になって、「春日井市視聴覚研究会・民話作成部会」が作成したものです。

 編集委員   鈴木 新一
         富中 昭智
         中田   賢
         渡辺 謙三









円福寺(白山町)
  

  八百比丘尼

 

八百比丘尼の像


  白山町円福寺裏の観音堂への参道横に小さなお堂があり、木彫りの仏様が祀られていた。この仏様にまつわる次のような話が伝えられている。
 その昔、春日井あたりは海だった。
 ある日、漁師が沖の方で一匹の珍しい魚を捕ってきた。世間で言う人魚の形をしていたので、「食ってはいかん」と放っておいた。そこへ通りがかった白い着物を着た老人が、「庚申(こうじん)様に珍しい魚を供えればご利益がある」と教えたので、早速その晩庚申祭を開いて、珍しい魚を供えた。
 ところが、乳母と一緒に遊んでいた一人の女の子が、口がいやしいので知らない内に人魚の肉を一口食べてしまった。その女の子は成長して美しい娘になったが、不思議なことにいつまでたっても年を取らず、とうとう八百歳になつてしまつた。
 長い間に知っている人は次々と死んでしまい、世の中の様子も変わるのに、自分は若いときのままである。寂しくなった娘は、髪を剃って洞穴に入ってしまった。洞穴の中からはしばらくの間は念仏が聞こえていたが、そのうちに聞こえなくなった。
 村の衆の言い伝えによると、この洞穴は若狭(わかさ)の国(福井県)まで続いているという。

仁 王 像

 「八百比丘尼」の伝説は福井県の小浜を中心に全国に残っており、この地方でも一宮、犬山、知多などに伝えられているという。不老長寿の願いは、今も昔も変わらないようだ。
 勝獄山(しょうがくさん)円福寺は、高蔵寺ニュータウンの南西の端、小高い丘の登り口にある。「尾張名所図会」によれば、今から約1200年前の養老年間に伊勢阿漕(あこぎ)の商人益直が開いたと伝えられており、その昔は、寺の下あたりまでは海だったといわれる。
 かっては天台宗密蔵院の末寺で、七堂の大伽藍(がらん)と十二坊の搭中(たっちゅう)があったが、戦乱の世の兵火で焼かれてしまった。現在は延暦寺の末寺である。「曽呂利惣八」で紹介した軍太鼓や、奉納された篠木合宿の絵馬のほか、八百比丘尼の木像も本堂にある。
 寺の横の百数十段の石段を登る途中には新築された仁王門があり、両側に古い仁王様がにらみをきかしている。この仁王様は市内で唯一のもので、高さが2.6mある。永正7年(1510)の作といわれ、室町時代の貴重な彫刻として市の文化財に指定されている。
 坂を上り詰めた広場の中央にある観音堂は、明暦3年(1657)の建立と伝えられて、近年修理されたが、寄せ棟造りの端正な姿を今に伝えている。本尊は十一面観音で、御利益があったので、美濃・尾張・伊勢の三国からの参拝者が多かったという。御本尊の両脇にある木像不動明王(高さ1.12m)、毘沙門天(びしゃもんてん)立像(高さ1.2m)は、共に12世紀頃のものと推定され、市の文化財に指定されている。

観 音 堂
仁 王 門


     











                          (春日井市、白山町)

前へ 目次へ 次へ