勝       


 江戸時代の春日井で全国的に有名なことは、小牧山長久手の戦いで、徳川家康が勝川で休憩した折りの話です。これから派生した出来事をあわせて紹介します。

1.家康と勝川の地名

 天正12年(1584)4月8日、徳川家康は小牧山から長久手へ向かって、霧の中を進んでいました。「ここは何という所か」とのお尋ねがあったので、道案内の庄屋甚助が「勝川付にござります」と申し上げると「勝川とな、これは吉祥、縁起のいい名だ。この戦はきっと勝てるぞ。早速、旗竿を切れ」と命じて、ここで休憩し鎧兜を締め直して出立しました。そして、見事勝利をおさめました。
 勝川の地名は「川を徒歩(かち)渡れる場所」であったことが起こりであるといわれています。勝川付の地名が書かれている最も占い資料は、応永34年(1427)ころと推定される「醍醐寺領尾張国安食荘絵図」で、竹薮の中の集落として描かれています。

2.江戸城御黒書院の床の間に飾られる勝川具足

 毎年1月11日の具足鏡開きには、江戸城御黒書院正面上段の間の床の間に「勝川の具足(歯朶の具足)」と餅飾山式を並べて、将軍が主催する儀式が行われます。この具足は徳川家康が小牧長久手の戦で着用して大勝利したため、縁起の良い具足として家康にまみえる如くにとても大切に扱われました。
 将軍は譜代大名及び諸役人を従えて、まず具足に礼拝して供えられた瓶子でお酒を召しLがります。これには井伊掃部頭一人が御相伴します。将軍の拝礼が済むと大目付の指示で6人ずつ下段の間に進み、老中が「御祝儀申し上げます」と言上してから大名たちも挨拶します。そして、具足餅拝領になります。三献目が済んでから懐紙に奨斗や餅を包んで退出します。

3.名古屋城大手門前と二の丸庭園の勝川まき石

 城中から大手門前の下馬する所までには、庄内川の勝川付近の川原で集めた石がまかれていました。また、本丸の東側に藩主の居館と政務を行う二之丸御殿があり、その北側は藩主や家族が生活する奥御殿で,この前に約2000坪(6000平方m)の庭園があります。この東側は池、築山、橋、各種の建物が複雑に配されており、西半分は平地で花塵のほかは一面に勝川石がまかれていました。「中御座之間北御庭惣絵図」に「惣白地の分勝川まき石」の記述があります。この庭は外敵に対する警備と守護を考えて造られたもので、万一忍者などの侵入者があった場合、小石の動きによって足音を聞き分けたといわれています。これらも勝川の吉兆にちなんだ措置だといえます。
 西側の築地塀に沿って針葉樹が立ち並ぶ中ほどには埋門があります。これは非常時に備えた地下式の門で、扉を開くと垂直に近い石段を下りて塀外の空堀へ出ることができます。深井大堀を舟で渡って、御深井の庭へ出て土居下〜清水口〜大曽根〜勝川〜定光寺を経て木曽へ落ち延びる手はずでした。

 

                      はじめにもどる