日本のいちばん長い日
- 公開日
- 2013/08/14
- 更新日
- 2013/08/14
お知らせ
「日本のいちばん長い日」は文藝春秋という雑誌の編集者で、後に作家となった半藤一利さんが書いた小説の題名です。1945年8月14日正午からの24時間をさしています。
1945年8月14日正午に何があったでしょう。昭和天皇と閣僚たちによる御前会議が始まった時刻です。この会議で、ポツダム宣言を受け入れて連合国に降伏することが決まりました。降伏とは戦いの負けを認めることです。会議で決まったことを戦争の相手国に伝え、さらに日本国民にも伝えなくてはなりません。翌日15日の正午に、ラジオを使って国民に敗戦を伝えることになりました。
日本放送協会(今のNHK)のスタッフが、天皇の生の声を録音してラジオで流すことになりました。当時天皇は人の姿をした神とあがめられ、普通の人は直接見てはいけないなど、今の私たちには考えられないような存在でしたから、録音するにも大変な苦労があったようです。
御前会議で戦争を終わらせることを決めましたが、軍人の中には最後の最後まで戦い続けようとする人も多くいました。15日に録音したものが放送される前に録音テープを奪おうとする事件が起きました。それだけでなく、「まだ戦争は終わっていない」とどんどんアメリカ軍に突撃をしていく兵隊もいました。アメリカ軍による地方都市への空襲もありました。あと何時間かすれば戦争は終わるというのに・・・。
8月15日正午、何とか無事だった録音テープの音声がラジオから流れました。この放送を「玉音放送(ぎょくおんほうそう)」と言います。難しい言葉がならび、電波の状態もあまりよくなかったので、何を言っているのかよくわからなかったようですが、雰囲気で日本の敗戦を感じ取った人が多かったそうです。
この放送を聞いて日本の負けを知った後でも、信じられないと零戦に乗って出撃した兵隊もいます。玉音放送を聞くことができなかった人・・・中国大陸や東南アジアで戦っていた兵隊たちの戦争は、まだ続いていました。68年前の今日のことです。
8月14日、春日井にも爆弾が落とされました。「模擬原爆」という爆弾で、中身が原子爆弾ではなく、外の容器は長崎に落とされた原子爆弾と同じ型(パンプキン)でした。日本の降伏がさらに遅くなったら、さらなる悲劇が起きていました。
やってよい戦争なんて絶対にありません。戦争が生むのは憎しみと悲しみです。タイムマシンがあったらと思いますが、私たちにできることは、全力で平和な世界を維持し続けることです。
※玉音放送の内容 ← ここをクリック
※玉音放送をくわしく知りたい人はここをクリック
画像は半藤さんの本の表紙とパンプキン爆弾。(ウィキペディアよりお借りしました)