便利さの中で
- 公開日
- 2013/01/29
- 更新日
- 2013/01/29
学校の窓
保護者の皆様へ
昨日の朝日新聞「天声人語」が目にとまりましたので、
引用して掲載させていただきます。ご覧いただけたら幸いです。
大ニュースではないが、驚いてしまう記事がある。
3年前にこんな記述があった。
ある人が幼稚園で講演したとき、
若い母親に「お茶って自分の家で作れるんですか」と聞かれた。
「はい」と答えると、彼女はこう言ったそうだ。
「私のお母さんがお茶を作っているところ、見たことがない。
いつもペットボトルのお茶を飲んできた」。
彼女はどうやら、お茶を「いれる」という言い方も知らないらしい。
一昨年も似た記事があった。
料理教室の先生に、急須を「これは何ですか」と聞く受講生がいたという。
だが、そうした例が驚くにあたらないのを、きのう東京で読んだ記事で知った。
日教組の教研集会で「今の高校生は日本茶の入れ方を知らない」
という報告があったそうだ。
福岡県立高校の家庭科教諭が生徒にアンケートしたら、
冬に家で飲むお茶を「急須でいれる」と答えたのは2割しかなかった。
授業では急須を直接火にかけようとする生徒もいたという。
おそらくは「粗茶ですが」や「茶柱が立つ」といった言葉も知らないのだろう。
市販の飲料は手軽でいいが、
文化や歴史をまとう「お茶」と無縁に子らが育つのは寂しい。
「客の心になりて亭主せよ。亭主の心になりて客いたせ」と言ったのは
大名茶人の松平不昧(ふまい)だった。
庶民もお茶でもてなし、もてなされる。
いれてもらったお茶は、粗茶でも心が和むものだ。
コンビニエンス(便利)と引き換えに大事なものをこぼして歩いているようで、
立ち止まりたい時がある。
いかがでしょうか。便利さの中で、
私たちが忘れかけているものが多いことを、改めて感じました。
校長 堤 泰喜