学校日記

学校概要

  • 学校概要〈平成26年度〉

    公開日
    2014/05/23
    更新日
    2014/05/24

    学校概要

    学校名 春日井市立鷹来中学校

    学校長 辻井賢一

    所在地  愛知県春日井市鷹来町3316番地

    周辺地図 https://www.google.co.jp/maps/@35.277097,136.959966,17z?hl=ja

    電話番号 (0568)83-9897 FAX (0568)83-9149

    Email takaki-j@kasugai.ed.jp

    創立年月日 昭和50年4月1日

    生徒数 1年201名 2年194 3年199名 総計594名

    学級数 1年6学級 2年5学級 3年5学級 
        (特別支援学級2学級)   合計 18学級

    職員数 40名(校長1 教頭1 教諭・講師35 養護教諭1 事務職員1 市職員1)

    校訓 「全力をつくせ」  


     この地は、徳川時代からタカが来る地として有名で、尾張藩主徳川義直がタカ狩りに来られたので、鷹来と名づけられたといわれている。
     校章は、美術クラブ員の考案で、外枠にたくましいタカの形をあらわし、その中に校名の「鷹」の字を配したものである。鷹は勇気と知性の鳥として知られ鷹中生にその願いがこめられて制定されたものである。

     昭和50年4月、西部中学校より分離、旧鷹来工廠跡地に独立開校。校舎は南と北の2棟をつなぐ東の管理棟からなり、職員室から運動場を俯瞰できる。この窓からは、市東部丘陵の高座、道樹の山々が四季折々の変貌をみせてくれる。また北棟4階からは、晴れた冬の日に白雪をいただく鈴鹿や北陸の山脈を遠望し、近くは東名高速を疾走する車の列、小牧山城など自然と生活の様々を目の辺りにできる。また校庭北辺の松樹は鷹狩場の名残り、校庭西辺のマテバシイは鷹来工廠当時の植栽と聞く。

  • 学校概要

    公開日
    2011/11/29
    更新日
    2011/11/29

    学校概要

    学校名 春日井市立鷹来中学校
    学校長 長谷川 大三
    所在地 486−0804
         春日井市鷹来町3316番地
    電 話 0568−83−9897
    FAX  0568−83−9149

    校 訓 全力を尽くせ

    生徒数 1年168名 2年200名 3年184名 総計552名 

  • 鷹来中学校学校概要

    公開日
    2007/05/02
    更新日
    2007/05/02

    学校概要

    画像はありません

    所在地 愛知県春日井市鷹来町3316番地
    電話番号 0568−83−9897
    創立年月日 昭和50年4月1日

    校訓 「全力をつくせ」
    ア)自ら進んで学習し、創造性豊かな生徒を育成する
    イ)親切で思いやりのある生徒を育成する
    ウ)心身ともに健康で活力に満ちた生徒を育成する

     この地は、徳川時代からタカが来る地として有名で、尾張藩主徳川義直がタカ狩りに来られたので、鷹来と名づけられたといわれている。
     校章は、美術クラブ員の考案で、外枠にたくましいタカの形をあらわし、その中に校名の「鷹」の字を配したものである。鷹は勇気と知性の鳥として知られ鷹中生にその願いがこめられて制定されたものである。

     西部中学校より分離、旧鷹来工廠跡地に独立開校。校舎は南と北の2棟をつなぐ東の管理棟からなり、職員室から運動場を俯瞰できる。この窓からは、市東部丘陵の高座、道樹の山々が四季折々の変貌をみせてくれる。また北棟4階からは、晴れた冬の日に白雪をいただく鈴鹿や北陸の山脈を遠望し、近くは東名高速を疾走する車の列、小牧山城など自然と生活の様々を目の辺りにできる。また校庭北辺の松樹は鷹狩場の名残り、校庭西辺のマテバシイは鷹来工廠当時の植栽と聞く。

  • 春日井市立鷹来中学校概要

    公開日
    2006/08/02
    更新日
    2006/08/02

    学校概要

    画像はありません

    所在地 愛知県春日井市鷹来町3316番地
    電話番号 0568−83−9897
    創立年月日 昭和50年4月1日

    校訓 「全力をつくせ」
    ア)自ら進んで学習し、創造性豊かな生徒を育成する
    イ)親切で思いやりのある生徒を育成する
    ウ)心身ともに健康で活力に満ちた生徒を育成する

     この地は、徳川時代からタカが来る地として有名で、尾張藩主徳川義直がタカ狩りに来られたので、鷹来と名づけられたといわれている。
     校章は、美術クラブ員の考案で、外枠にたくましいタカの形をあらわし、その中に校名の「鷹」の字を配したものである。鷹は勇気と知性の鳥として知られ鷹中生にその願いがこめられて制定されたものである。

     西部中学校より分離、旧鷹来工廠跡地に独立開校。校舎は南と北の2棟をつなぐ東の管理棟からなり、職員室から運動場を俯瞰できる。この窓からは、市東部丘陵の高座、道樹の山々が四季折々の変貌をみせてくれる。また北棟4階からは、晴れた冬の日に白雪をいただく鈴鹿や北陸の山脈を遠望し、近くは東名高速を疾走する車の列、小牧山城など自然と生活の様々を目の辺りにできる。また校庭北辺の松樹は鷹狩場の名残り、校庭西辺のマテバシイは鷹来工廠当時の植栽と聞く。