少し寒い朝でした。久しぶりの朝会。
- 公開日
- 2008/05/12
- 更新日
- 2008/05/12
お知らせ
真夏が近いと感じたのはついこの前だったように思えます。でも、ここ数日季節は逆戻りをしたかのようです。体調を崩しやすい季節です。十分に気をつけてください。
今日は久しぶりの朝会がありました。常連のソフトテニス部、卓球部の伝達表彰に続いて山川先生のご紹介がありました。次に校長先生は「大島みち子」さんの詩を読んでくださいました。大島さんは往復書簡集「愛と死をみつめて」で知られています。若くして難病に冒された彼女は命の大切さ、生きていることの喜びをおそらく誰よりも強く感じておられたのでしょう。校長先生は彼女の詩を通して、今を一生懸命生きることの大切さを語られました。
大島さんは軟骨肉腫という不治の病にかかり、顔面の左半分を切除せざるをえなくなります。1962年11月2日、病巣ごとぎりぎりまで削りとる手術がおこなわれました。
そんな中、1963年1月 になると、死の恐怖や痛みと闘いながら、大部屋の年老いた患者さんを献身的に看護するようになります。水枕の交換、食事の世話、下の世話まで、なにごとも厭わず、隣の病棟まで行って困っている人の手助けをしたそうです。6月、はげしいい頭痛のために起き上がれなくなります。倒れる2か月前に書いた詩が残っています。
病院の外に、健康な日を三日下さい。
一日目、
私は故郷に飛んで帰りましょう。
そしておじいちゃんの肩をたたいて、
それから母と台所に立ちましょう。
おいしいサラダを作って、
父にアツカンを一本つけて、
妹たちと楽しい食卓を囲みましょう。
二日目、
私は貴方の所へ飛んで行きたい。
貴方と遊びたいなんて言いません。
おへやをお掃除してあげて、
ワイシャツにアイロンをかけてあげて、
おいしいお料理を作ってあげたいの。
そのかわり、
お別れの時、やさしくキスしてネ。
三日目、
私は一人ぼっちで思い出と遊びます。
そして静かに一日が過ぎたら、
三日間の健康ありがとうと笑って
永遠の眠りにつくでしょう。
七月下旬 麻酔による痛み止めが必要となる
八月七日 大島みち子さん 死去 享年二十一
☆この詩は、1963年4月10日の大島みち子さんの日記にあります。